性犯罪被害にあうということ (朝日文庫) 文庫 – 2011/7/7 小林 美佳 (著)
性犯罪被害にあってしまった女性が事件から2年ほど経った頃に「泣きながら携帯電話に打ち込んで」書いた手記が、筆者の実名・写真付きで出版され、大きな話題を呼んだ本です。出版された当時にも一読したことがあるのですが、昨年から今年にかけて設置されていた法務省の性犯罪の罰則に関する検討会のヒアリングに筆者が出席されていたことを知ったのをきっかけに改めて読んでみることにしました。
「誰かに読んでもらうためでも、世に出すためでもなく、ため息や涙のように、私が吐き出したもの」と筆者自身が述べているように、必ずしも時系列を追って書かれているわけでもなく、テーマごとに整理されているわけでもありませんが、そのぶん胸に迫るものがあります。 *1
この本はすでに広く知られていますから、今さらわたしがレビューを書いたところで特段の意義はないかもしれませんが、自分の読書メモとして3点、印象に残ったところを書き残しておきたいと思います。
①ひとつは家族との関係についてです。
この本では、筆者が両親に事件のことを打ち明けてから、両親に怒りをぶつけられるなどして、関係がうまくいかなくなった様子が詳細に書かれています。
わたしは3年ほど前にうつを患って治療中なのですが、うつ病が一番ひどかった頃、母親との関係が悪化したのをなんとなく覚えています。母親が自分を心配してくれるのはとてもよくわかっていたのですが、母親が泣き叫びながら自分をなじるのを聞くのは辛かったです。
「きっと、母は私以上に事実を受け止められずにいたのかもしれない」
「『なぜ当事者の私のことを一番に考えてくれない? “辛かったね”ってたった一度でも抱きしめてくれたらどんなに安心したか……』(中略)しかし私の母は、それができない。それは、きっと、母にとっては、母が「娘を傷つけられた」当事者だから……。」
*2
ここを読んで、率直に、「ああ、自分と似ているな」と共感しました。
(自分に似ていると思い込んでしまうと、ありのままの筆者を理解しようという姿勢が欠けてしまう危険が生じるのには注意したいと思いますが、これが読書中の率直な感想でした。)
うつ病の治療においては家族の協力がとても大事だと言われていますが、患者本人と家族との関係はなかなかうまくいかないことが多いのです。休職・退職で収入が途絶えてしまうことによるお金の不安。日がな一日寝込んだり散歩したり気ままな一日を送る本人を片目に、家事や育児や仕事の負担を一手に負わなくてはならない疲労感や理不尽感。色々な理由が考えられます。
この理由のひとつとして、「母にとっては、母が「娘を傷つけられた」当事者だ」、すなわち家族もまたうつ病によってショックを受ける当事者なのだということは意識されてもよいのかなと思います。
②もうひとつは、自責の念にとらわれがちなこと、人に言えない後ろめたいものであると思われていることが、性犯罪被害とうつ病とで似ているのではないかということです。
「『人に言えない恥ずかしいことをした』という気持ちを抱えて生きることの屈辱と、理不尽な罪悪感をいつも持っていた。性犯罪の被害者の悩みは、ここなのだ。誰しもが持っている常識や習慣や文化が、こんなかたちで自分に降りかかるとは思わなかった。私も、以前はその中で疑問を持たずに生きていたのだから。」
*3
性犯罪被害については、被害者が悪いと断ずる風潮は少しずつながら弱まってきているように思います。もちろんまだまだ被害者に対する偏見を持つ人は多くいるはずですが、一般的な傾向としては。
そのひとつのあらわれが、今年の11月から、強姦罪の非親告罪化、すなわち被害者の告訴がなくても犯人を罪に問えるようにするべきかの議論が法務省の法制審議会で始まったことではないでしょうか。法務省の「性犯罪の罰則に関する検討会」取りまとめ報告書(平成27年8月6日 *4)でも、「性犯罪の被害に遭ったことを不名誉だと考えること自体がおかしい」(4ページ)という意見が述べられていました。
ひるがえって、うつ病ではどうでしょうか。
「ケガもしていないんだから、働けるはずだろう」「働かざる者食うべからずだ」――このような常識や習慣や文化が、患者の周りの人にも患者本人にも強く残っていて、休職に対する大きな重圧になっているように思えてなりません。
「犯罪被害者は悪くない、悪いのは加害者だ」というのは絶対の真理であると言いやすいのに比べて、「働ける者は働け」という倫理はそれ自体がおかしいものではないので、うつ病患者の後ろめたさを解決するのはなかなか難しいのでしょうね……。
③3つめは、筆者が周りの人を傷つけてしまったところが隠さずに書かれていた点です。
「ゼロ地点」の章では、筆者が「シンちゃん」や「イギリス留学が決まった男性の友人」を傷つけてしまうシーンが詳細に描かれています。
筆者が性犯罪の被害にあってしまったことに何の非もないように、「シンちゃん」にも「友人」にも何の落ち度もありません。それなのに筆者に甘えられ、なじられ、迷惑をかけられる。この部分を読んで反発を覚える読者も少なくないようです。*5 わたしも正直、「シンちゃん」が気の毒に思えてなりませんでした。
反発を受けることはおそらく筆者も予想済みだったでしょう。
それでもここを削らずに残して世に出したのは、事件後に周りの人に甘えたり責めたりしてしまう性犯罪被害者のかたが少なくないから、性犯罪被害者の事件後の反応としてこういうことがありうることを知っておいてほしいからなのかな、と思いました。
「家族から理解を得られず苦しむ前に、被害者駆け込みセンターがあったらどんなに気が楽だったろう。『私はこんなだったよ』と泣きながら話せる場所があったら、事件直後に戸惑うことなくそこへ向かったと思う。安心できる場所、救われるかもしれない場所があることを広めること、これも必要なこと。」
*6
もしも事件後、筆者が被害者駆け込みセンターに駆け込むことができていたら、「シンちゃん」にかかる負担は軽減されたことでしょう。
わたしが今後、性犯罪に限らず苦しんでいる人に出会うことがあったら、自分でも出来る限り支えたいけれど、自分も一緒に折れてしまわないように、「駆け込みセンター」を探して紹介するようにしたいなと思いました。
以下、余談です。
本書は手記を出版したものであり、言い回しは直していないと「文庫版あとがきにかえて」で述べられていますが、実際のところは、かなり綿密な推敲を経ているのではないかと推測しています。
というのも、読者、とりわけ筆者と同様に性犯罪の被害にあったことのある読者が傷つかないように、慎重に言い回しを選んでいるように感じられたからです。
本書のAmazonページには「自分も性犯罪の被害にあった」と打ち明けて書かれたレビューが多くありますが、そのなかには、とげとげしい言葉のものも見られます。たとえば、
「1番共感できなかったのは犯人に対して反省してほしいで終わってる事でした。私は今でも犯人に会ったら殺したいとの思いは変わりません。子供なのでしょうか。心が狭いのでしょうか。」*7
「 最近思うのですが、ネットや成人雑誌を見ると女性を性の道具として扱っているように感じてなりません。
AVやアダルト雑誌からは女性に酷い仕打ちのような行為をしているもので溢れています。見る度に女性の人権と性を踏みにじられている気持ちになります。あれを見て気分の良くなる女性はいないと思います。」*8
性犯罪被害を受けたかたが、加害者を殺したいと思うのも、ネットや成人雑誌を見て人権を踏みにじられた気分になるのも、とても自然な反応だと思います。そういう思いを打ち明けること自体は間違いなく意義深いことです。
ですが、その言い回しには若干の問題が含まれていると思います。
犯人に対して殺したいと思わないなんて共感できない。女性が酷い仕打ちをうける成人雑誌を見て気分の良くなる女性なんていない。これらの文言には「他の人もきっとこうに違いない」「こうでない人はおかしいに違いない」という“決めつけ”の要素が含まれているからです。
特に、性犯罪被害を受けたかたのなかには、その後性依存症に悩まされるかたもいるとのことです。*9 事件をきっかけとして、女性が酷い仕打ちを受けている行為を描いたネットや成人雑誌をむしろ好んで見るようになってしまう、といった形の後遺症だってあるかもしれません。
そういうかたが「あれを見て気分の良くなる女性はいない」という言葉を見たとき、どう思うでしょうか。自分はやっぱり女性としておかしいんだ、と自責の念を深めてしまうのではないでしょうか。
個人の書くAmazonレビューのレベルとしては十分許容される表現でしょうけれど、出版して広く世に知らしめるにはより細やかな配慮が必要になってくるでしょう。
本書の言い回しは、それぞれの性犯罪被害者がそれぞれに抱える思いをどんなものでも否定しないように、こういった“決めつけ”を注意深く避けたものになっていると思います。だから、安心して読むことができ、ここまで反響を呼んだのではないでしょうか。
*1 ここまでのカギカッコ内は「文庫版あとがきにかえて」から引用
*2 「二次被害」の章から引用
*3 「放熱」の章から引用
*4 http://www.moj.go.jp/content/001154850.pdf
*5 http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20080528など参照
*6 「ゼロ地点」の章から引用
*9 http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/popress/love_and_sex/CK2013050102000174.html、http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6423483.htmlなど参照