チェンソーマン 第二部最終話読みましたが……
結局、なぜチェンソーマンが悪魔を食べるとその名前の存在をこの世から消すという能力を持っているか、謎が明かされなくて残念です。
これは、「読者が自分で考察しろ」という趣旨なのでしょうか?
実を言うと、わたしはファイアパンチの最終話も手放しでは褒め称えられないんです。
藤本タツキ先生の作品は、特に終わり方に関しては常識を超えすぎてしまっていると思います。
チェンソーマン第一部の生姜焼きエンドは、世間一般的に好意的に受け止められているようですけど(わたしも好きです)。
でも第二部全体としては、アサ&ヨルやフミコやセミの人など、魅力的なキャラクターに出会えて面白かったです!
チェンソーマン第二部、ハッピーエンドの後は意外と世知辛い現実がやってくることを果敢に描いたという意味では、ひぐらし業卒*1にも通じるものがあるかもしれません。
一度きれいに終わった物語を再開させたら、ファンから否定の声が上がることは確実に予想されるのに、すごい挑戦ですよね。
チェンソーマン第二部の終わり方に関しては、もうひとつ気になることがあります。
チェンソーマン第二部最終話の1話前(第231話)で、ポチタは「⋯デンジに大切な家族ができた時 行きたかった学校に行けた時 そして⋯アサと理解しあった時 デンジはどこか幸せじゃなかったよね?」と言っていたけれど、この指摘は妥当なのでしょうか。
デンジは過去が地獄すぎて、天国を失うのが怖くて無意識に自分で自分の幸せという感情を抑制してしまっていただけではないでしょうか。
実際、マキマやバルエムらのせいで、幸せを感じては奪われてきたわけですし。
「デンジは飢えて苦しんで悪魔と戦ってボロ小屋で腐ったパンを食べてるほうがずっと幸せだった」というのは、ポチタの願望だった、あるいはポチタが悪魔であるがゆえに人間の感情を理解しきれていなかったのではないでしょうか。
ポチタの言っていることが正しいのだとしたら、デンジはFateの言峰綺礼と似ていて、普通の人が幸福と感じるところからは幸福を感じられない脳みそを持っていたということなのでしょうね。
デンジはずっと口を半開きにしていることが多かったですが、最終話の最終ページの1ページ前、デンジがアサを見つめるシーンでは、口元をきゅっと引き締めているのです。
このことを指摘したXのポストは、現時点*2で1.9万いいねを集めています。(わたしのポストではないです!)
*3ポ「デンジはね 地獄の中じゃなきゃ
— あつ森劇場 未来テレビ (@shi666) 2026年3月25日
天国を見つけられない…」
欠落の中にしか天国を見出せないデンジ。
デ「女とメシ食ってゲームして…犬も飼いてぇな…」
デ「オレも学校行きたかったな…」
そして、ラスト直前のカット
これまでずっと口をぽかんと[半開き]のまま… pic.twitter.com/1KWDW8tT2G
デンジの口元に注目すると、「欠落だらけの人生」、つまり片目などを失って家族はおらず学校にも行けない世界でこそデンジは幸せを見出したと見ることもできるのでしょう。
「デンジはこの時本当に幸せを感じているか」という観点からチェンソーマン全体を読み返すと、面白いかもしれません。
今のところわたしはあつ森劇場 未来テレビさんの解釈に100%は賛同できないのですが、読み返したら納得できるかもしれませんね!
『チェンソーマン 第二部』最終話が掲載された3月25日にXに投稿した一連のポストを加筆転載したものです。
*1:TVアニメ「ひぐらしのなく頃に 業・卒」。2020年から2021年にかけて放送。
*2:最終話が更新されてから3日後の3月28日朝時点
*3:Xユーザーのあつ森劇場 未来テレビさん: 「ポ「デンジはね 地獄の中じゃなきゃ 天国を見つけられない…」 欠落の中にしか天国を見出せないデンジ。 デ「女とメシ食ってゲームして…犬も飼いてぇな…」 デ「オレも学校行きたかったな…」 そして、ラスト直前のカット これまでずっと口をぽかんと[半開き]のまま https://t.co/1KWDW8tT2G」 / X https://x.com/shi666/status/2036839293126332770 2026年3月26日




