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Pokémon GOのAR写真とか。アニメの感想とか。たまに難しいことも。不思議ちゃんの新婚生活10年目@東京をまったり記録。

とおくへいきたい

とおくへいきたい。

双極性障害うつ状態のうつの波が久しぶりに底まで来てしまったのだと思う。

気分の落ち込みだけでなく、身体にも症状が出る。

足に力が入らず立ち上がれない。夫に支えてもらいながらお手洗いに行った。

天井からつり革のように縄かなにかがぶら下がっていれば支えにして起き上がれるのに、と思った。

ひとりでとおくへいきたい。

たぶん、なにもしなくても罪の意識を感じないところへ行きたいと思っているのだろう。

なにもしないことが許される場所。

どこかのリゾート地の広告が「何もしない贅沢」と謳っていたのを見たことがある。

それで、どこかの秘境の温泉地にでも行ったとする。

ぼーっと温泉につかっているうちはいい。

怖いのはそこに居合わせた人と話をすることになった時だ。

ひとたび身の上話でもさせられようものなら、わたしはきっと、世間話の延長のような軽い調子でとがめられるだろう。

「旦那さんを置いてこんなところまで来たの?」

「普段から家事を旦那さんに任せているの? 料理もできないの?」

「旦那さん、かわいそうに」

「あなた奥さんなんだからきちんとしなさいよ」

こんなふうに。

わたしは病気で、食事摂取や洗面、入浴、更衣、清掃などの身辺の清潔保持は「自発的に行うことができるがなお援助を必要とする。」という診断も受けている。

病気でなかったとしても、夫が自ら進んでやってくれているのだから、夫に家事を任せたって、なんの問題もない。夫婦の問題であって、他人がとやかく言うことではない。

なんの問題もない。

「息を吸って、息を吐いて、お水を飲んで、ごはんを食べて、ゆっくり眠っていれば、ゆーりんはそれでいいんだよ」

と、ほかでもない夫が言っているのだから。

わたしは生きている。それだけで胸を張っていればいい。

それでも、仕事も育児もしていないのに家事を中心的にこなせていないことには罪悪感がつきまとう。

ふだんは意識しないように努めていても、誰かになにか言われたとたん、胸が苦しくなる。

だから、今のわたしは他人との会話を避けている。

わたしの知り合いには、わたしが仕事や家事をしていないからといって責めるような無神経な人はいないはずだ。

けれど、近況を聞かれて、仕事はしていないと答えれば、「え?」と一瞬驚いた表情をされることだろう。

それが、それだけのことが辛いのだ。

知らない人と会話するのは昔から苦ではなかったし、少なくとも大人になってからは知り合いとも普通にしゃべれるようになった。

けれど、2年ほど前から、わたしは夫以外の他人と話すことをできる限り避けている。

世間の人は妻は家事をこなすのが当たり前だと思っているし、

わたしの知り合い(こう言ってはなんだけれど、高学歴の人が多い)は女性も仕事をするのが当たり前だと思っている。

わたしだって、女性も仕事をするのが当たり前で、そうすべきであると強く信じてきた。

30歳も過ぎた今さらになって「生きているだけで胸を張っていい」という新たな価値観、それも周りの人には受け入れられていない価値観を身に着けるのはとても難しい。

ふだんは堂々とできていても、周りの人に「え?」と言われるだけで、たやすく揺らいでしまう。

ひとと会いたくないのはこのせいだ。

正しいのは自分のほうなのに、誰かになにか言われただけで、自責の念にとらわれる。

これはよくあることなのだと思う。

つい最近Yahoo!ニュースに載った『平成家族』という連載記事にもそんな話があった。

自然分娩ではなく帝王切開や無痛分娩で産んだというだけで、「自力で産めないなんて母親失格」と周囲に責められて傷ついたり自責の念に駆られたりする母親たちがいるという。

こんなの責めるほうが悪いに決まっている。それでも、責められたほうは傷ついてしまうものなのだ。

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責められるのが嫌なら、家事の腕を上げるか、仕事を始めればいい。

できれば後者を選びたい。

でも、やらなければならないことでもないのに、仕事(いったん始めたらやり続けなければならない!)を探すというのは、どうにも難しい。

幸いにも夫の収入には余裕があるので、「やりたいことから仕事を探す」という贅沢がわたしには許されている。

でも、「やりたいこと」がわたしにはない。

わたしの病気は双極性障害という。

2012年の発症当初はうつ病(勤務先に提出する診断書には「うつ状態」と記載されていたが)だと診断されていたが、最近になって診断名が変わった。

双極性障害の特徴は、うつ状態に加えて軽躁状態も現れるところだ。

躁状態のときは、ハイになって、短時間しか眠らなくても元気に活動する。

今から振り返ると、わたしには大学生の頃から双極性障害のような症状があったのだと思う。

ハイテンションなときに色々なプロジェクトに応募してしまい、後になってタスクが3つも4つも重なっていることに気づき、どのプロジェクトもいい加減な終わらせ方をしてしまう、ということを繰り返していたからだ。

ある年の夏休みは、合唱サークルの合宿と、情報学環教育部研究生の合宿と、政策立案コンテストと、記憶にあるだけで3つも重いイベントを抱えた。政策立案コンテストは確か7泊8日の合宿だったが、最終日に倒れて、肝心の政策発表の場に居合わせられなかったのを覚えている。

うつ病がまだ治っておらず生活リズムが崩れに崩れているにもかかわらず、「生活リズムを直すためにはなにかに通わなくてはいけない!」とか言いだして法科大学院なんぞに出願してしまったのも、今考えれば軽躁状態の賜物(?)だ。

診断が変わって、双極性障害に効く薬を処方されるようになって以降は、軽躁状態になることはなくなったようだ。

過去の自分がばらまいた種のせいで振り回されて疲れ果てることはなくなった。

それ自体はとても良いことだ。

なのだが、ひとつだけ悪いこともあったようだ。

後先顧みずになにかを始めてしまうということがなくなったせいで、なにも始められなくなった。

やりたいことを仕事にすればいいと言われても、やりたいことがない。

本当に贅沢な悩みで、他人に愚痴をこぼそうものなら心から疎ましがられそうだけれど、わたし本人は本気で困っている。

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少なくとも今は、うつの波のどん底にいるのだから、仕事を探したり家事の腕を上げたりは後回しにしてゆっくり休めばいいとも思う。

けれど、今が本当にうつの波のどん底でなにもできない状態なのか、元気なのに怠けているだけなのかが、自分では、というより誰にもわからない。

うつ状態の程度には発熱のような目安がないのだ。

うつがひどい時には決して無理をせず休んでいなくてはならないけれど、うつの回復期には少しずつ自分に負荷をかけてできることを増やしていかなければならない。

自分がいまどちらの時期にいるのかがわからない。

自分はただの怠け者で、動こうとしたら普通に動けて、家事でも仕事探しでもできるんじゃないかと思うと、居ても立っても居られなくなる。

でも、ベッドから起き上がらない。起き上が「れ」ない? 起き上が「ら」ない?

Twitterで、「悩む暇があれば筋トレしろ! 筋トレすれば気分が上がり、全て解決する!」という趣旨のツイートを繰り返しているどこかの社長さんがいる。いつも数千RTされているようで、わたしのタイムラインにもよく表示される。

わたしも一応スポーツジムに通っているけれど、2週間ほど体調不良を名目に休んでしまっている。

これがいけないのだろうか。

体調が悪かろうがなんだろうが、発熱やら咳やらがあるわけではないのだからさぼるな、と自分に発破をかけるべきなんだと思う。

きっとそうなんだと思う。休んでいるのがいけないんだと思う。

それでも、いま、わたしは動けない。究極のサボり魔だ。そして、サボっていて楽しいわけでは決してない。

生きていればそれだけでいいのに、自分が気持ちよく生きていけるように努力することさえわたしにはできていない。

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昼のあいだは、ただ夜が来るのを待っている。

本を読もうとしても文字が頭に入らないし、テレビをつけると音が耳障りですぐ消してしまう。

大好きだったはずのCoccoさんの音楽もなぜか聴くのが苦痛になってしまった。

生活リズムを整えるために昼寝はするなと医師から言い渡されているので、昼間は眠くても退屈でも眠ることはできない。

でも、夜になれば、眠気が誘うままに眠りに落ちることができる。

今も、早く夜になってほしいと思っている。

とおくへいきたい。

なにもしなくても、わたしがわたしを許せるようなところまで、行きたい。

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出産縛る「呪い」格差悩む母 | 2018/7/2(月) 15:47 - Yahoo!ニュース

松川希実・朝日新聞デジタル

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6288421