【要旨】
川崎市の少年殺害事件を受けて、Twitter等で「未成年の加害者は匿名報道で守られるのに、なぜ被害者ばかりが実名報道によってプライバシー侵害を受けるのだ。事件・事故の被害者の実名や人となりを報じるのはもうやめるべきだ」といったように犯罪被害者の報道・取材のありかたに疑問を呈する発言を多数見かけます。
確かに、被害者報道・取材のありかたには、プライバシーの侵害のおそれ、メディアスクラム(集団的過熱取材)など大きな課題があります。
とはいえ、もしも被害者の実名報道・人となり報道を一切やめてしまったら、犠牲になるものもあるのではないでしょうか。被害者の実名報道・人となり報道には、今回のように社会的な議論が必要な事件について、「より自分に近いできごととして感じられる」ようにして世論を喚起するという重要な役割があると思うのです。
一方で、どんなに公共的な意義があったとしても、取材・報道が被害者に対する負担になることは変わりません。マスメディアは、報道の意義を自明視せず、被害者のプライバシーを侵してまで実名や人となりを取材・報道する意義(その事件・事故は公共的に議論する必要があるものか、議論には被害者の人となりについての情報が必要か)を、事件ごとにきちんと検証して示すべきではないでしょうか。
【目次】
1.被害者の実名報道・人となり報道に対する疑問の声
2.被害者の実名報道・人となり報道の意義:世論の喚起
3.被害者報道・取材における課題:報道の意義を自明視しないで
1.被害者の実名報道・人となり報道に対する疑問の声
きゃりーぱみゅぱみゅ 認証済みアカウント @pamyurin
加害者で未成年の少年はモザイクかかるのに、被害者の亡くなった少年は顔も写真もだされてさ。まだまだこれから楽しい事がたくさん待っていたのに、悲しい。
17,055リツイート
24,997お気に入り
1:43 - 2015年2月28日
https://twitter.com/pamyurin/status/571349991215669248
(2015/3/3 0:09時点)
川崎市の少年殺害事件を受けて、Twitter等で「未成年の加害者は匿名報道で守られるのに、なぜ被害者は実名報道でプライバシー侵害を受けるのだ」といったように犯罪被害者の報道・取材のありかたに疑問を呈する発言を多数見かけます。
冒頭に引用した歌手・きゃりーぱみゅぱみゅ氏のツイートは、現時点で17000RTを超えた反響を受けています。
このような疑問の声は、昨年9月の御嶽山の噴火のときにもあったように思います。
伊藤 剛 @GoITO
「御嶽山の噴火で死亡が確認された47人の方全員の人となりをご紹介」って偶発的な事故じゃないですか。人となりとはまったく関係ないよね。逆にいえば、偶然天災に遭っただけでどうしてこんな「晒される」ような目に遭わなければならないんでしょうか。
10:08 - 2014年10月4日
https://twitter.com/GoITO/status/518206014722560000
今回の川崎の事件と同様に、被害者の名前が実名で伝えられること、被害者の人となりが詳しく報じられること(以下、それぞれ単に「実名報道」「人となり報道」と言います)に対する疑問を呈するツイートです。RTは5000以上にのぼっています。
噴火1分前、山頂付近にいた安否不明の登山者に対する朝日記者が非常識すぎると炎上中 – grape -「心」に響く動画メディア:
ホムセンライダーしのぶ @sinobu6542
産経新聞「御嶽山噴火で亡くなった人の両親宅のチャイム鳴らしたけど反応無かったお」 そっとしとけよハゲ…
16:20 - 2014年9月29日
https://twitter.com/sinobu6542/status/516487606972854273
これらの記事・ツイートは、被害者・遺族(以下、単に「被害者」と言うことがあります)に対する取材のありかたを批判するものです。
上の記事では、噴火1分前に山頂付近にいると思われる写真をツイートし、その後ツイートが途絶えた人に対して、朝日新聞の記者が「当時の様子を教えて」とリプライを送ったことが批判されています。facebookでのシェア数は13000。
下のツイートのほうにも、1800以上のRTがされており、賛同を表明する多くのリプライが付いています。
これまでも、被害者や周囲の人々に対してマスメディアの取材が集中・過熱することにより平穏な生活が脅かされること(いわゆるメディアスクラム・集団的過熱取材)が問題視されることはありましたが、最近に至っては、そもそも報道機関が被害者に取材を試みること自体が問題視されるようになってきたということです。
さて、これらのツイート等が指摘するように、事件・事故の被害者が連日の報道によってプライバシーを丸裸にされるのは、重大な人権侵害ではないかとも思えます。
我が子が目に黒いあざを作りながらも健気に笑っている写真を連日、連日テレビで流されるなんて、ご家族のかたの痛ましさは察するに余りあるものです。
また、自分や家族が事件・事故に遭って憔悴しきっているところにマスメディアの取材を申し込まれては、それだけで昂ぶった神経が逆撫でされることでしょう。
では今後は、事件・事故の被害者の心情をおもんぱかり、被害者に対する取材は本人からの了承がない限り一切控え、事件・事故の概略のみを報じて被害者の実名報道はやめるべき――なのでしょうか。
重大な事件・事故が起きたときに被害者を実名で伝え、被害者の人となりを詳しく報じるというのは、長いあいだ日本で原則とされてきた、いわば制度のようなです。
制度の変革・廃止を議論するならば、この制度がつくられた趣旨を顧みなければならないのでしょうか。
すなわち、もしも被害者の実名報道・人となり報道を一切やめてしまったら、何が犠牲になるのかにもわたしたちは目を向けるべきなのです。
しかしながら、少なくともわたしがざっと調べた限りでは、被害者の実名報道・人となり報道の不要論は数多くみられるものの、意義を論じた考察はあまり見かけません。*1
朝日新聞の記事データベース「聞蔵IIビジュアル」を用いて「被害者 報道 実名」というキーワードで検索してみたのですが、被害者の実名報道・人となり報道の意義とプライバシーの衝突が大きく論じられていたのは2007年にまで遡ってしまうように思えます。*2
そこで、他に書いている人がなかなか見つからないならばということで、被害者の実名報道・人となり報道の意義について、自分なりに考えてみることにしました。
いわば逆張りですね。
2.被害者の実名報道・人となり報道の意義:世論の喚起
神田大介 認証済みアカウント @kanda_daisuke
多数、同様のリプライをいただいております。これは私個人の考え方ですが、人となりを書くのは、親族でも知人でもない圧倒的多数の読者の方に、亡くなった方への親近感を持ってもらうためです。死者をデータではなく生身の人間として感じてもらうためです。
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2:22 - 2014年10月5日
https://twitter.com/kanda_daisuke/status/518451121921458177
神田大介 認証済みアカウント @kanda_daisuke
単に死者の氏名と年齢を並べるより、たとえばその人が新婚旅行中であったと知った方が、より自分に近いできごととして感じられるのでは。私なんかは子どもが出来てから、子どもの事件や事故があるだけで身近に関してしまうようになってしまいましたが…
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2:23 - 2014年10月5日
https://twitter.com/kanda_daisuke/status/518451443200970752
こちらは、朝日新聞記者(テヘラン支局長)の神田大介氏が御嶽山の噴火に際して被害者の実名報道・人となり報道の意味を訴えたツイートです。
これによると、実名報道・人となり報道には「読者・視聴者に被害者に対する親近感を持ってもらう」という意義がありえるということになります。
神田氏のツイートは約400RT、200RTしかされていません。単純な比較はできませんが、不要論と比べてRT数が少ない印象を受けます。リプライにも反対意見が目につきます。それだけ賛同が少ないということなのかもしれません。
しかしながら、わたしはこれは重要な意義だと考えています。
もしも事件・事故の被害者の実名や写真、人となりが報道されなくなったら、一般の人が被害者に想いを寄せるのは非常に難しくなると思うのです。
今回の川崎の事件でも、殺された少年の目のあざの写真を目にしたり、級友が少年を悼む言葉を見聞きしたりしたことから、悲惨な事件が起こったことを知り関心を持ったという人は多いのではないでしょうか。
他にも例を挙げてみましょう。
たとえば、児童相談所に寄せられる虐待相談は以前と比べて大幅に増加しているそうです。
これについて、文部科学省は「社会を騒がすような痛ましい児童虐待に関する事件の発生等もあり、国民や関係機関に、児童虐待についての認識や理解の高まりが見られることなどが主な増加要因として考えられている。」と分析しています。*3
1998年に「“It”(それ)と呼ばれた子」という児童虐待を体験した著者の自叙伝が出版されてベストセラーになりましたが、この頃には児童虐待事件が報道されることはあまりなく、「児童虐待なんて本当にあるの?」というのがふつうの人の見方だったはずです。この本の虐待の描写(“母親に名前さえ呼んでもらえず「It」と呼ばれる。残り物しか食べさせてもらえない。アンモニアを飲まされる。”*4)は、当時かなりの衝撃を持って読まれていたように記憶しています。
ところが、今ではそういう虐待があること自体は日本じゅうの人が当然の知識として知っている、と言っても過言ではないでしょう。そして、虐待についての認識が高まったことから、通報・相談の件数も増えて、多くの子どもが虐待から救われる結果につながっているのです。
このように多くの人が児童虐待について理解を深める大きなきっかけになったのが、児童虐待事件における実名報道・人となり報道だったのではないかとわたし考えます。
もしも数々の児童虐待事件が、概略だけ報じられ、数字(件数)として処理されていたならば、わたしたちは児童虐待事件の悲惨さを胸に刻むことができたでしょうか。
川崎の事件も児童虐待事件と同様に、これを契機に社会的に議論すべき課題の多い事件であると思います。
たとえば、「少年法なんていらない」という声、本当に多いですよね。*5
少年に対する匿名報道の措置が妥当かなどについて、この事件をきっかけに多くの人が考えるようになったということを示しています(なお、少年法を改廃すべきかという問題についての賛否はここでは述べません)。
他にも、
・ひとり親家庭の親が育児時間を十分に持つには何が必要か
・欠席の続く子どもに学校はどう対処すべきか、家庭訪問で会えなかったら更にどうすべきか
・友人が暴行傷害を受けていることを知った子どもがスムーズに周囲の大人に相談できるようになるには何が必要か
・もしも本人や家族、周囲の人々が「警察などの機関に通報しても無駄だ」と思って相談していなかったのなら、何がそうさせてしまったのか
など、子どもを犯罪から守るために検討すべきたくさんの課題がこの事件によって示されました。
もしも被害者の少年の人となりについて詳しい報道がなかったとしたら、この事件についてこれだけ多くの人が真剣に考えることができたでしょうか。
たとえば被害者の少年の家庭環境(ひとり親であったこと、離島から川崎に引っ越してきたばかりだったこと)についての情報がなかったとしたら、問題の所在は非常につかみにくく、ふわふわした議論しかできずにすぐに消えてしまっていたことでしょう。
このように、被害者の実名報道・人となり報道には、社会的な議論が必要な事件について、「より自分に近いできごととして感じられる」ようにして世論を喚起するという重要な役割があると思うのです。
「犯罪被害者の情報と報道のあり方」(2006)*6は「犯罪被害者報道においては、 報道の公共性、公益性に基づく自由と、 犯罪被害者のプライバシーとの調整をどのように図っていくかが問題となる。 」と指摘しています。
この「公共性、公益性」が世論を喚起する必要性の部分に当たるとわたしは考えています。
ただ、この指摘にもあるように、実名報道・人となり報道には被害者のプライバシーを侵害する側面が確かにあります。取材を受けることそのものを苦痛に感じる被害者もいらっしゃるでしょう。被害者を傷つけてまで公共的な議論の喚起が必要なのか、という疑問がわく人がいるのもすごくよく理解できます。
メディアスクラム(集団的過熱取材)を行わないように取材の方法に基準を作る*7、社会的な議論の必要性の大小に応じて人となり報道を控える*8といった十分な配慮は要するものの、一定のプライバシー侵害はやむをえないのではないかとわたしは考えています。が、正直な話、もし自分が被害者の立場になったらと思うと強く言い切るのは難しいです。
しかも、その事件が公共性のある事件かどうかって、ぱっと見てわかるものではありませんよね。
また、たとえ公共性のある事件だったとしても、その報道を見て読者・視聴者であるわたしたちが“楽しんでいる”ことだって否定できません。わたしたちはみんな他人の不幸やお涙頂戴な物語をネタにしておしゃべりするのが大好きです。*9 そして、新聞社もテレビ局も慈善活動で報道しているわけではなく、商売ですから、読者・視聴者に“売れる”話題を提供して稼ぎたいはずなのです。ですが。
小田嶋隆 @tako_ashi
「事件」なり「事故」という「素材」から、「物語」を紡ぎ出して、読者に「感動」のストーリーを提供するのが報道の仕事だと考えている記者さんが、ごく一部ではあるのだろうけど確実にいて、その種の勘違いした記者の手になる「エモーショナル」な記事は、震災以降、増加傾向にあると思う。
13:50 - 2014年10月5日
https://twitter.com/tako_ashi/status/518624322269614080
小田嶋隆氏が指摘するように、事件、事故を感動のストーリーに仕立て上げて提供するというのは、報道の意義ではありません。どんなに読者・視聴者がセンセーショナルな“報道”を求めていたとしても、それは被害者のプライバシーを侵してもよい理由にはならないのです。
とはいえ、公共性ある話題について世論を喚起するのも、商売のために大衆のゲスな好奇心を満たすのも、紙一重、スペクトラムです。一律にこれはダメ、あれは許される、なんて言えません。
わたしは今回の川崎の事件については実名報道・人となり報道が必要だったと思っていますが、それは他の殺人事件についても同様に考えるということは意味しません。
実名報道・人となり報道の必要性は、ケースバイケースに考えないといけないのです。
なお、実名報道の意義については、捜査機関などの権力に対する監視というマスメディアの本来の役割にとって被害者の実名が必要不可欠だからという点も挙げられています。*10
3.被害者報道・取材における課題:報道の意義を自明視しないで
最後に繰り返しますが、マスメディアによる取材・報道のありかたには大きな課題が残っています。
そして、たとえメディアスクラムに至らない程度の取材であったとしても、また公共性があり実名報道・人となり報道が必要だと判断されるとしても、取材・報道が被害者にとって負担でありプライバシーの侵害であることには変わりがないのです。最近だけでも、アルジェリアの人質事件、御岳山の噴火、そして今回の川崎の殺人事件と、大きな事件が起きるたびにこの問題について疑問視する声が投げかけられてきました。にもかかわらず、被害者の実名報道の意義について、マスメディア自身の口から一般市民に向けて語られることがあまりに少なかったのではないでしょうか。
これはただの推測です。推測ですが、マスメディアの上層部にいる人たちは、報道は意義ある活動だということを自明視してしまっていて、「取材対象のプライバシーを侵してている」という反省意識が足りないのかな、と思ってしまいます。
マスメディアは、被害者のプライバシーを侵してまで実名や人となりを取材・報道する意義(その事件・事故は公共的に議論する必要があるものか、議論には被害者の人となりについての情報が必要か)を、事件ごとにきちんと検証して示すべきではないでしょうか。
特に事故報道については、センチメンタルな人となり報道よりも、事故の原因究明や再発防止に向けた調査報道により注力すべきではないかとも考えられます。偶然に事故に巻き込まれた被害者の人となりが事故の原因や社会的な影響に大きく関わっていることは少ないように思われるからです。
お伝えしたかったことは以上です。
どうか今一度、安直な不要論に陥らず、被害者の実名報道・人となり報道の意義を考えていただければと思います。
わたしはジャーナリズム論をきちんと勉強したことがあるわけではありません。また、恥ずかしながら、今回このブログを書くに当たって、ウェブ上の検索で済ませてしまい、紙の文献を当たることをしていません。
また、「被害者報道の意義を論じたものが見つからない」と繰り返し書いていますが、最近の論考がございましたら、ひとえにわたしの勉強不足ですので、どうぞご教示くださいませ。
その他、誤解や思い違い、不足している視点等について御意見を賜りたく存じます。
(急いで書き上げてしまったので、自分で誤りに気付いて後日内容を修正するかもしれません。その際は原則として見え消し修正しようと思います。)
なお、本稿は個人の見解であり、わたしが過去に所属した組織等の見解を示すものでは全くございません。いまはただの無職の主婦兼学生?です。
最後までお読みくださり心より感謝申し上げます。
【参考文献】
文中に挙げたほか、
* 議論:「御嶽山噴火の報道をめぐって議論に…」災害犠牲者の“人となり”の報道は必要?:(2014/10/7 BLOGOS)http://blogos.com/discussion/2014-10-07/episode/
【余談】
これ、書き上げるの、めちゃくちゃ疲れました。
誰に頼まれたわけでも学校の課題でもないのに、貴重な余暇の時間を使って、たった一人にも読まれないかもしれない下手糞な文章を長々と書きつらねるなんて、自分でも馬鹿じゃないかと思います。
いい加減、もっと簡潔な文章が書けるようになりたいです……。あーーーーーー
さくっと140字にまとめてツイートにしていっぱいRTを稼いだほうが多くの人に見てもらえたんだろうな。でもわたしには無理ですー
っていうか、どこかの有識者が被害者報道の意義について書いてくれればそれをシェアするだけでよかったのに! なんで誰も書いてないの!? わたしの探し方が悪いだけなんですか!!?
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*1 たとえば、「被害者 人となり 報道」で検索すると、こんな感じです。トップのBLOGOSの記事は賛否両論を読者コメントで募っているものではありますが。
*2
2007年以前に被害者報道について大きく論じられていたのは、2005年12月に閣議決定された犯罪被害者等基本計画によって、警察が犯罪被害者発表の際に実名か匿名かを事実上判断するようになったことが背景だと考えられます。捜査機関に対して実名発表を求める記事が目立ちます。
最近では、2013年1月のアルジェリア人質事件報道、そして昨年9月の御嶽山噴火を契機として、実名報道・人となり報道が不要ではないかという読者の声に応える記事がオピニオン欄などに掲載されています。
また、朝日新聞社には報道と人権委員会(PRC)という第三者機関があり、定期的に取材・報道の問題について議論されています。2013年3月の定例会では「アルジェリア人質事件の犠牲者氏名の公表問題」がテーマとされていました。
御嶽山噴火の後は、同時期に「吉田調書」問題が紛糾してしまったためか、被害者報道については議論されていないようです。
*3 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06060513/001/002.htm
「学校等における児童虐待防止に向けた取組について」(報告書) 学校等における児童虐待防止に向けた取組に関する調査研究会議 (平成18年5月)
*4 http://www.amazon.co.jp/dp/4900845655
「商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
母親に名前さえ呼んでもらえず「It」と呼ばれる。残り物しか食べさせてもらえない。アンモニアを飲まされる。児童虐待の被害者が、幼児期のトラウマを乗り越え、自らつづった壮絶な日々の記録。」
*5 典型的なのは芸能人の三村マサカズ氏のツイートでしょう。
三村マサカズ 認証済みアカウント @hentaimimura
普段は時事ネタはツイートしないんですが、今回の川崎の事件は胸クソ悪い。ダメだ。落ち込む。少年法なんかいらない。
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20:18 - 2015年2月27日
https://twitter.com/hentaimimura/status/571268244931088387
*6 大月晶代「犯罪被害者の情報と報道のあり方」『レファレンス』 No.667(2006年8月),p54
*7 「アルジェリア人質事件の犠牲者氏名の公表問題」をテーマに開かれた朝日新聞社の「報道と人権委員会」の定例会における議論を報じる「犠牲者の氏名伝える意義は 朝日新聞「報道と人権委員会」」(朝日新聞2013年3月4日朝刊東特集H面(9面))で、朝日新聞の山中季広・社会部長が「亡くなった方の名前や住所がわかり、各社が家の前に集まった。ただし、連日深夜まで入れかわり立ちかわりインターホンを押すとか、自宅の前に中継用のやぐらを組むようなことは防げた。スクラムには至らずに済んだと認識している。」と発言しています。
メディアスクラムに到らないように報道各社が十分に努力しているとおっしゃりたいのだと思いますが、各社が家の前に集まるだけでも十分に迷惑だし遺族を傷つけるのではないかと個人的には感じます。代表取材など、より負担の少ない取材方法を考えるよう努めてほしいと思いました。
*8 コラムニストの小田嶋隆氏は、2007年1月、東京の幡ヶ谷と富ヶ谷で続いて起きたバラバラ殺人事件を受けて、ブログにおいて「彼らが取材してきた結果を番組として流す段階では、もうひとつ別の判断基準があって然るべきなんではなかろうか。つまり、真相は真相として、公共性のない事実は、あえて庶民の食卓に供さないのがまっとうな放送業者としての態度」「で、今回の場合について言うなら、歯科医一家の家庭の内情や、富ヶ谷の若夫婦の日常についての報道に、公共性はあるんだろうか? ない、と思う。 それどころか、有害ですらある。」と述べています。http://takoashi.air-nifty.com/diary/2007/01/post_47f5.html
このブログ記事は、2014年10月、小田嶋氏が御嶽山噴火報道について語るなかで紹介されました。http://twitter.com/tako_ashi/status/518665286598152193
*9
小田嶋隆 @tako_ashi
まあ、曾根崎心中の昔から他人の生き死には大衆の大好物だからね。
13:52 - 2014年10月5日
http://twitter.com/tako_ashi/status/518624870616145920
*10
前掲注6 p55
「自律と責任、再自覚を 朝日新聞「報道と人権委」 3期第10回定例会」朝日新聞2006年12月22日朝刊東特集R面(17面)