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Pokémon GOのAR写真とか。アニメの感想とか。たまに難しいことも。不思議ちゃんの新婚生活8年目@東京をまったり記録。

Coccoさん出演の映画『人魚に会える日。』ぜひご覧あれ!

『人魚に会える日。』という映画を観てきました!

Coccoさんの出る映画が東京で上映されるというなら、万難を排して観に行かなければならなかったのです! たとえCoccoさん主演ではなかろうとも!

とはいうものの、観に行く前はかなり身構えていました。

沖縄の基地問題を扱っている映画だったからです。

というのも、昨年9月、同じく沖縄の基地問題を扱った『戦場ぬ止み』という映画を観たんですが、これが非常に辛い作品だったのです(『戦場ぬ止み』の感想はこちら→http://yulin.cocolog-nifty.com/yuletideblog/2015/09/cocco-3e2b.html)。

『人魚に会える日。』もそういう系統だったら辛いなぁ……と。

ですが、全くの杞憂でした。

『人魚に会える日。』は、普通にエンタテインメントとして面白かったです。

「観てよかったー!」と素直に言える、万人にオススメできる映画だなと思いました(^-^)

『戦場ぬ止み』はガッチガチのドキュメンタリー映画ですが、『人魚に会える日。』はフィクションなんですよね。面白く最後まで観られるようにうまく"作って"あるんだと思います。

しかし、ふたつ残念なことが。

ひとつは東京での上映期間があまりにも短いこと。もともと3/3から3/7までの5日間だったのが、3/10まで延長されましたが、それにしても短すぎます。良い映画なのに。

もうひとつはパンフレットがなかったことです。上映会場でポスターを買えば仲村監督からサインをいただけたのですが、東京の狭い家にポスターなんて飾れないどころか保管にも困るので、買うのにはかなり抵抗があります。パンフレットだったら、躊躇いなく購入して、サインをいただいたんですけれど。

パンフレット作成までする予算がなかったそうでして。上映前にクラウドファンディングを募っていたんですが、こんなことなら少しでも協力すればよかったかなと少し後悔しています。

以下、ネタバレありです。



 * * *



ネタバレ感想その1

途中、

「良太先生の車が落書きされたのは誰の仕業なんだ!?」

「剛志(先生と一緒に辺野座に行ったフリーカメラマン)が持ち帰ってきてしまったファイルには何が書かれていたのか!?」

とドキドキさせられて、まるで謎解きサスペンスのようだと思いました。

この映画には「大学生監督が描くいけにえの島」っていうキャッチコピーが付いているので、事件の真相にすぐ勘付いてしまうかたもいると思いますが、それが作品の面白さを減じてはいないと思います。『古畑任三郎』だって、犯人が誰かは予めわかっていますけれど、犯人の心理描写などを味わうのが面白いのですものね。

ただ、あえてジャンル分けするならば、サスペンスではなく、Coccoさんがコメント(http://www.ningyoniaeruhi.com/#!comment-cocco/nwaic)でおっしゃるようにファンタジー映画なんだろうと思います。というか、ファンタジー映画だと言っておかないと、実際の辺野古でもあんな儀式が行われていると勘違いする人が万が一でもいたら困りますし……。

そういえば、ちょっとホラー映画っぽい編集手法を使っていたところもありましたね。



ネタバレ感想その2

Coccoさんファンとしては、Coccoさんがこの作品に与えた影響の大きさを推しはからずにはいられません。

皆、沖縄を愛している。愛するが故に、皆意志がある。県内で対立するのも、県外に向かって叫ぶのも、全ては皆が沖縄を思うが故だ。

 (略)

私は、生け贄になりたい。

これが終わるなら、この問題がもう終わるなら、そのために“生け贄”が必要だとすれば、私は真っ先に手を挙げる。

Cocco著『東京ドリーム』(2013・ミシマ社)pp.14-15 初出は沖縄タイムス2010年1月5日「もしも願いが叶うなら」)

ユメの行動からは、どうしたってCoccoさんのこの言葉が思い浮かびます。

仲村監督はCoccoさんと親しいようですから、おそらく実際に影響を受けているのではないでしょうか。



 * * *



さて、ここからは重めの話です。『人魚に会える日。』からは離れますが、この映画を観て考えさせられた基地問題について書きました。

本作は「沖縄の若者のまっすぐな思いを世界へ」というコンセプトで作られたと言います。

エスかノーか簡単には言えない、でも身近な人どうしが対立して苦しむのを見るのだけは嫌だ…… これが沖縄の若者のリアルな想いなのでしょうか。

わたしは、ユメの姿から、そんなふうに思いました。

そして、なんとかしてあげなきゃ、って感じました。ユメが生け贄になるなんてだめだよ、なんとかしなきゃ、って。

でも一方で、黙って生け贄になってくれればいいのに、という冷たい自分もいるんです。

沖縄の基地問題を扱った作品はこれまでいくつも観てきましたが(だいたいがCoccoさん目当てですが^-^;)、観るたびにいつも、そんな自分の残酷さに気付かされて、嫌な思いをしてしまいます。

だから、ここから書くことは、責任転嫁です。

結局わたしは、沖縄の苦しみを知らされても、何か行動を起こそうとは思えたことがありません(その主な理由は、他にいくらでも片付けるべき問題があるからなんですけどね。個人的にも社会的にも)。その非を正面から認めるのが辛いがゆえの言い訳です。

(1)「基地がないなら、なんで逃げないの?」はおかしかった。しかし……

『戦場ぬ止み』の感想ブログでは、「基地が怖いなら、なんで逃げないの?」と書きました。

……これ、酷いですね。自分で書いたことですが、どうかと思います。

「逃げない沖縄の人たちが悪いんだ」って、被害者側の責任にしてるってことですもんね。「騙されるほうが悪い」と同じ発想で、不正義もいいところです。

それに、「嫌ならなんで逃げないの?」って返したら、誰も社会問題について訴えられなくなります。たとえば、最近話題の保育所入れない問題も、「保育所に入れなくて困るなら、人口の少ない地方に行けばいいじゃない」って一蹴できてしまいますね。

人口が減少し財政が厳しくなっていくなかで、地方に住むことを選択するならば、公共サービスの低下を覚悟しなければならない――というくらいなら、全うな主張のひとつだと思うんです。(参照:やまもといちろう 公式ブログ - 保守は「こづかいないんだから我慢しろ」と言い、左翼は「こづかいがないのはおかしい」と言う - Powered by LINE: 2016/03/02 http://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/4257236.html

しかし、沖縄が基地によって被っている騒音被害や恐怖を、公共サービスの低下と同列に位置づけることはさすがにできないでしょう。

ということで、「基地が怖いなら沖縄から逃げればいい」という主張は、道理に合いません。

なのですが。

(2)本音。

「基地が怖いなら、なんで逃げないの?」と内心思っている人は、きっと多いと思うのです。

そして、「そんなのはおかしい!」と沖縄の人たちに指摘してもらわない限り、その不正義には気付けないんじゃないかと思うのです。

なぜかって?

沖縄の人たちが基地で苦しむのは沖縄の人たちの自己責任だと思っておくほうが、私たち本土の人間にとっては楽だからです。

要するに、沖縄に基地があったほうが本土の人間にはみんな都合がいいんですよ。

だから問題として取り上げたくもないんです。問題にしてしまうと、沖縄以外に基地が来てしまう可能性が強まるから。

結局のところみんなこれが本音なんだと思います。確証はないですけど。

監督は「沖縄のことをもっと知ってほしい」という思いからこの映画を作ったようです。

その試みは成功したんだと思います。本作品からは、沖縄の若者のリアルな想いが伝わってきます。

ですが、沖縄のことを知ったからと言って、沖縄のために立ちあがろうとは、わたしはやっぱり思えませんでした。多分そういう人は多いんじゃないかと思います。

なぜならば、繰り返しますが、沖縄に基地があったほうが、この問題が騒がれないほうが、わたしたちには都合がいいからです。

(3)沖縄の基地問題の不幸な特殊性

沖縄の基地問題には不幸な特殊性があるのだと思います。

ひとつは、沖縄の負担減が本土の負担増とほぼ直接につながってしまうことです。

鳩山元首相は「最低でも県外」と言いましたが、県外移設とは本土のどこかに基地が増えるということなんですよね。また、仮に基地をなくすとすれば、国防上問題が生じるのではないかという不安感を抱えることになってしまいます(この不安感が妥当なものなのか、つまり沖縄から基地がなくなると本当に国防上問題が生じるのかは非常に重要な問題ですが、ここでは措きます)。

これに対して、保育所の待機児童問題では、騒音トラブルなどを別とすると、保育所を増やすことと国民の負担増はあまり密接につながってはいません。保育所を増やせば財政には負担になりますが、財政の問題はひとりひとりの国民にとっては見えづらいものです。

もうひとつは、「辺野古の海を守れ」という訴えが都会の人間には共感を得にくいものであることです。

住宅密集地に位置する普天間基地の危険性のほうは都会の人間にも(あるいは都会の人間にだからこそ)理解されやすいはずです。ここは保育所問題と同じでしょう。

そして、「自然を守れ」「きれいな海を守れ」という叫びも、一定程度までは理解されるでしょう。ですが、そのために座り込みやデモをしているとまで聞くと、しらけてしまう人が多いと思います。わたしのように、ふるさとを持たず、その時その時のニーズに合わせて住む場所を転々とするのが当たり前の人間には、場所に対する愛着がほとんどないため、体を張ってまで自分の住む場所を守ろうとする気持ちが理解しにくいのです。

そういうわけで、放っておいたほうが自分たちにとって得だし、共感もできないから、沖縄問題については見て見ぬふりをしてしまうのです。

少し知識のある人でも、普天間に基地があるのは確かに危険だね、じゃあ辺野古に移設すればいいよね、で終わってしまいます。

(4)でもそれじゃいけないよね? ~多数決のパラドックス

でも、本当に、本土のわたしたちは沖縄の基地問題に見て見ぬふりをしていていいのでしょうか。

多分、よくないです。

沖縄問題を考えるとき、最近のわたしはこの話をよく思いだします。

 私が研究する会社法では、多数決が重視される。しかし、多数決には矛盾がある。

 その一つが投票のパラドックス。A・B・Cの選択肢があり、甲・乙・丙が多数決で選ぶとしよう。甲はABC、乙はBCA、丙はCABの順で選考していた場合に、単純多数決(候補を2つずつのペアにして、どちらを選ぶか投票する方法)を行うと、ABのペアでは2対1でAが勝ち、BCのペアでは2対1でBが勝つ。つまりAよりはBが、BよりCが弱いから、ここで止めればABCの順番になる。しかしACのペアで投票すると2対1でCが勝つのだ。多数決といっても採決の順番で結果は大きく変わり得る。

 こんな問題もある。5階建てマンションで、エレベーターの改修費が議論となった。普段エレベーターを使わない1階の住民は負担を拒んだが、5階の住民は均等割を主張した。多数決で決めることになり、過半数ではしこりが残るので5分の4が賛成する案に従うことになった。一見良さそうだったが、腹を立てた5階の住民の提案と、負担したくない他の住民の思惑が合致し、1階の住民だけが負担する案に5分の4が賛成したという。笑えない話だ。

 多数決の結果が常に正義とは限らない。多数派になった時こそ肝に銘じたい教訓だ。

(以上、中日新聞2月19日夕刊コラム「紙つぶて」から。筆者は中央大学法科大学院教授・野村修也氏)

(「多数決のパラドックス」 - Judge - Yahoo!ブログ:(http://blogs.yahoo.co.jp/kenmei152/62883629.html))

※web上で利用できる中日新聞のデータベース(中日新聞東京新聞記事データベース)では著作権の関係で当該記事の本文の表示ができなかったため、やむなく孫引きいたしました。『人魚に会える日。』の東京での上映期間の関係上、早めにこのブログを書きあげてアップロードしたいため、一時的な措置としてこのようにさせてください。

紙面を確認しました。(2016/3/29)

これ、5階建てマンションが日本に、1階の住民が沖縄、2階以上の住民が本土に見えてきませんか?

わたしたち2階以上の住民は、沖縄問題に関しては多数派でいられます。

でも、この不正義を放っておいてしまったら、いつの日か今度は自分が「多数決のパラドックス」によって負担を押し付けられてしまうかもしれません。

あるいは沖縄の基地のように。あるいは六ヶ所村の核燃料再処理工場のように。

六ヶ所村のことを思いだしたのは、Coccoさん自身が題材とされたドキュメンタリー映画「大丈夫であるように Cocco 終わらない旅」(2008年公開)で取り上げられたためです。)

ある地域の利害と日本全体の利害が対立したとき、どう解決すればよいのか。地域住民の声にどう耳を傾けて、どのように意見をすり合わせていけばよいのか。

わたしたちは今、この難しいパラドックスの解決策を探らなければいけないのだと思います。

奇しくも、仲村監督も、インタビューでこのように答えていたのです。「その土地に住んでいる人たちの思いに耳を傾けたい」と。

自分の故郷に置き換えて

 映画は14年夏に撮影し、公開を目指して1年以上キャンペーンを続けてきた。協賛企業を探すための営業活動や、試写会を続ける中で「基地問題の前提すら知らなかったりと、沖縄のことを知らない人が多い」と驚いたが、気づいたこともある。

 「東京は『夢はあるけど、冷たい街』と勝手に思っていた。実際に出てきたら、もっといろんな人がいた。日本という国の中に知らないことがたくさんあ る」。映画を見た北海道出身者は、「自分もアイヌの人たちのことを何も知らなかったから、調べていきたい」と言ってくれた。沖縄のことを知ってほしいとい う思いは、「その土地に住んでいる人たちの思いに耳を傾けたい」という気持ちに変わった。

 作品には、ほかの映画で描かれる「楽園のような沖縄」は出てこない。仲村さんは、「ありのままの沖縄を描いた作品。見た人がそれぞれ、自分の故郷や住んでいる地域のことに置き換えて考えてくれたら」と話していた。

(「沖縄出身大学生監督2作目 基地に揺れる高校生描く」毎日新聞 2016年2月28日 http://mainichi.jp/articles/20160225/k00/00m/040/007000c

沖縄のことを見殺しにする限り、それと同じ理屈で、東京に住む人の思いも見捨てられ、保育所はいつまで経っても足りないまま、一票の価値は不平等なままに放っておかれてしまうかもしれない。そんなふうに危惧しています。

以上です。

……こんな長い言い訳を書かなければ気が済まないぐらいには、少なくともわたしは、沖縄に対して罪悪感を抱いているのだと思います。あーやだやだ!