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Pokémon GOのAR写真とか。アニメの感想とか。たまに難しいことも。不思議ちゃんの新婚生活13年目@東京をまったり記録。

Coccoさんナレーションの「戦場ぬ止み」を観て思った、都市のひとと沖縄のひとのあいだの深い溝。

Coccoさんがナレーションをしているドキュメンタリー映画「戦場ぬ止み」をやっと観てきました。

Coccoさんのやわらかい声、訥々とした誠実な話しかたは心にしみます。

TV番組に出演するCoccoさんは、言葉がたどたどしすぎて、おかしい人だと思われていたこともあるみたいですが、その先入観は捨ててください!!!

Coccoさんのナレーション、素晴らしいので、興味のあるかたは食わず嫌いせずにぜひ観にいかれてください。

以下、中身について書きます。(Twitterからの転載に一部手を加えました。)

 * * *

この映画は、辺野古の新基地建設の反対運動を描いたドキュメンタリーです。

資材を乗せたトラックを現場に入れまいと、道路に座り込んだり、トラックを体を張って押し戻そうとしたり、そんな生々しい現場が撮られています。

85歳のおばあや、わたしと同じ20代の女の子が、抵抗運動の中で機動隊や海上自衛隊に引きずられるのを見るのはつらかったです。

運動もむなしく海にコンクリートブロックや鎖を沈められてしまい、珊瑚が下敷きになって破壊されてしまっている海中映像を見るのも、胸が痛みました。

でも、わたしが今ここで「辺野古に基地を作るな!」と彼らと一緒になって叫べるかと問われたら、無理です。

わたしの感受性や想像力が欠けているせいなのだとは思います。

辺野古で命がけで座り込みを続ける人たちの真剣な姿を目にしてもなお、どうしても、彼らに感情移入することはなかったんです。

辺野古の反対運動をする人たちの気持ちを理解するには、沖縄について勉強して得た知識を総動員して頭を使って想像力を働かせないと、わたしには無理なのです。

そうして色々考えているうちに、「でもアメリカとの関係ってどうなるの?」「基地を作らなかったら日本が危ないんじゃないの?」「沖縄以外ならどこに作るの?」と、なんやかやわからなくなってきてしまって、単純に「反対」だとは言えなくなってしまうのです。

じゃあ、なんでわたしには辺野古の人たちに感情移入することができないのでしょうか。

それは多分、わたしがずっと都市に住んできた人間だからなんだと考えました。

都市に住んでいると、仕事の都合やら進学やら保活やらご近所トラブルやら再開発に伴う立ち退きやら耐震性の問題の発覚やら、個人的な事情や社会的な問題のために引っ越すことは当たり前にあります。引っ越しを迫られることで苦痛を感じたり生活に著しい支障をきたすということは、通常はありません。

だから、都市に住む人は、沖縄の基地に苦しむ人たちに対して知らず知らずこう思ってしまうのだと思います。「なんで逃げないの?」と。

騒音被害。戦闘機が家に落ちるかも。戦争が起きたら狙われるかも。そうだね、住む場所の近くに基地があったら辛いよね、わかるよ。じゃあなんで引っ越さないの?

「人魚に会える日。」のレビューで指摘したとおり、これは不正義な発想で、酷い暴言です。「保育園落ちた日本死ね」ブログに対して「『死ね』というほど日本が嫌なら、日本に住まなければ良いのです。」杉並区議も、炎上してしまいましたしね。

でも、たぶん、こういう本音を抱いている人は多いはずです。議員さんが書いてしまうぐらいですから……。

(※この段落は2016/3/20追記)

映画の中で沖縄の女の子が「みんなに、たくさんの人に、辺野古で何が起きているか見に来てほしい。」 と話していました。

きっと彼女は、現場を見てさえもらえればみんなが沖縄のために立ちあがってくれるだろうと信じているのでしょう。

でも多分、現実はそんなに簡単ではないはずです。

この映画からは、辺野古の抵抗運動の激しさはつぶさに伝わります。

けれど、そもそもなぜ彼らが命を懸けてまで基地を作らせないと決心しているのか、想いの原動力が十分に描かれてはいないように思います。

少なくとも、土地に縛られず生きる都市の人間に対しては伝わりにくかったのではないでしょうか。

特に、昨今の安全保障法案関係のデモに対する反応を見ていると、急進的な運動をしている人たちはまず「ヤバそうな人たち」という先入観をもって見られることが多いように思います。

ヤバそうな人たちという先入観を覆すためには、「なんでそんなに危ない基地から逃げて引っ越さないの?」という無意識の問いに正面から応えて、自分たちの住む土地や海を守らなければならないという決意の理由を伝えなければならなかったのではないでしょうか。

 * * *

※以下、2017年2月10日追記

わたしが感じた違和感をわたし自身よりもずっと適切に表現してくださっているレビューを見つけたので、ご紹介します。

「怒られることを承知で書きます!ドキュメンタリーの意義ってなんでしょうか?」戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ) babirusa.さんの映画レビュー(ネタバレ) - 映画.com

http://eiga.com/movie/81616/review/01008441/

基地移設については「戦略的に」の一言に留め、中国問題に言及せず、1945年の沖縄本土決戦の悲惨さ、火炎放射器防空壕を焼く映像ばかりを何度も差し込む。あの時つらい思いをした沖縄の人達を、戦後もずっと虐げられてきた沖縄の人達を、また今回も辛い目にあわせるのですか?という切り口。

"理屈抜きにさ"の前提で押し付けられる感情論には、どんどん気持ちが冷める質なんです。すみません。

(中略)

沖縄の人達の苦しみは理解できますし、もうこれ以上つらい思いなんかさせたくないですよ。

けれどだからといって、この反対派の方々の活動を支援したいとは思わなかった。すみません。

そもそも、この反対派の方達が"沖縄の民意の全て"と思っていいんですかね?疑問です。

(サトチャ♡XXさん / 2015年8月4日執筆)

反対派のかたがたが辺野古の基地に反対する理由として本作品に描かれていたのは、

辺野古の美しい海を守る

・戦争で悲惨な目に遭った沖縄にこれ以上負担を押し付けるな

の2点だと思います。

一点目はともかく、二点目はサトチャさんのおっしゃる通り「感情論」なんですよね。

沖縄の人たちも基地を受け入れるかで揺れている。その様子は本作品にも描かれています。

にもかかわらず、反対派のかたがたはその葛藤を飲み込んで「辺野古に基地を作るな!」と声高に主張する。

彼らはなぜ、どんなジレンマがあっても反対しなければならない、と思うに至ったのか。彼らの強い想いの源泉がどこにあるのか。

本作品は、この一番大事なところを「感情論」で押し切ってしまっている。だから、少なくともわたしやサトチャさんのような人には、十分に伝わってこないのだと思います。



(ちなみに。

 観た直後の2015年にわたしが書いた感想、「そんなに危ないなら、なんで(反対運動なんかしてないで)沖縄から逃げないの?」は、的外れでした。

 住宅街に近い普天間基地は危険ですが、辺野古は人口が少ないのですよね。ですから、反対派の人たちも、辺野古の基地建設に反対する理由として「危険だから」を挙げることはあまりないようです。

 

 とはいえ、土地に縛られずに生きる都会の人間には、「自分たちの故郷を守る」「美しい海を守る」と言われても、やはりピンとこないひとが多いとは思います)