さっきの記事が50PV以上読まれたようだ。ありがとうございます。調子に乗ってもうひとつ。
おさしみ氏のマンガ「ろくでなしの帰宅」。あ、ひとつじゃなくてふたつあった。まあいいや。
https://twitter.com/ossm_ls/status/579272560510038016
春から新社会人のみんな!漫画をかいたよ! http://t.co/JuqYJiVlXZ
https://twitter.com/ossm_ls/status/579305201451945984
@lg21QTE えーと8割フィクション2割実話なんですが、こちらみていただけるとこのヒロインについて察していただけるかなとおもいます http://t.co/ic38R33Vel
これもハリボム氏のマンガと同じぐらい共感して、胸が痛かった作品だ。
わたしも仕事できなかったし、家事もできなかった。それなりに頑張りはしたつもりだけど。
中学高校の年1回の体力テストで学年最下位を2-3回とったことがあるぐらい体力がなく、
調理実習ではいつの間にやらトマトの湯むきと洗い物しか担当しないようになり、
編み物のテストでは、クラスで唯一、試験時間内に課題が編みあがらなかった。
爆笑したのは、「フェラは うまい」のところね。
わたしも「フェラうまい」って絶賛されたw
それでわたし風俗にしか勤められないんじゃないか、でもコミュ障だし無理、と本気で悩んでた時期があったwww
幸いなのは、自分はたまたま「机の上のお勉強」、要するに試験勉強が得意だったこと。
でも、特に小さい頃は、勉強ができるより運動とか話術が得意な子のほうがもてはやされるから、自分が勉強できることには価値がないと思い込んでた。
実は試験勉強は「ふつうの人」にはうまくできないことなんだ、って気づいてから、人生が相当ラクになったと思う。
気付いたきっかけのひとつは、高校のとき、自分がクラスでいちばん定期試験の総合成績が良いんだと知らされたことだったろうか。いつも楽しそうにしゃべっているみんなよりも、ダンスのうまいあの子だけじゃなく、塩野七生の『ローマ人の物語』を読めるぐらい頭の良いあの子よりも。
「お勉強」で生きていけばいいんだと気付いてからは、人生の難易度が「ふつうの人」とそこまで変わらなくなったような気がする。
たとえるならば、人生という試合のフィールドにようやく立てたんだと思う。
それまでは、コミュニケーション能力とか体力とか手際の良さとかが「ふつうの人」にふつうにあるものが自分にはないから、わたしは試合に出る条件を満たしていないんだ、と思っていた。
それからも色々と頑張らなきゃいけないことはあった。
けど、それは会社の中の出世競争とか、サッカー選手が日本代表を競って争うといったようなもの。
自分のフィールドのなかで試合を勝ちぬくために頑張るということは、人間誰でもやらなきゃならないことだ。それを厭ってはどうにもならない。
なので、「誰だって苦労しているんだよ! 自分のことだけ可哀想がるな、このコミュ障!」という指摘はある意味では正しい。
ただ、自分のようなコミュ障・メンヘラにとっては、試合のフィールドに立つまで、要するに自分ならではのフィールドを見つけるまでが物凄く大変なのだ。
※人生は試合と違って人と競うものじゃないだろうというツッコミは置いといてくださいね。例え話なんで。