さいきん、考えごとが次々頭に浮かんで眠れない日が続く。
自分の困りごとについてなら仕方ない。でも、どういうわけか今のわたしが思い悩んでいるのは、自分一人でどうこうしたってどうしようもないはずの社会問題についてなので、たちが悪い。
あまつさえ、自分の考えを整理してネットに書きたいという欲求が止まらない。
なんでなんだろう。
世の中を変えるために少しでも声をあげて貢献しないといけない!!
とか馬鹿げたことを思ってしまっているんだろうか。
いや、ただの承認欲求かな(笑)
知らないことを知りたい、なんでこうなってるのかわからないから理解したい、という単なる知識欲も大きいとは思う。
いろいろあるけど、結局は暇をもてあましてるせいなんだろう。
忙しければ自分に直接無関係なことなんて考える暇なんてないもの。
料理の練習をするなり仕事をするなりしたほうが、自分にとって有意義だとはわかっている。
でも、決めた。
とりあえずは自分の欲求にしたがって、とことん考えて、書くことにしようと思う。
だって、この欲求を忘れたふりをするのもストレスなんだもの。
自分には関係ない社会問題、って何度か書いたけど、本当は関係ないはずがないんだ。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
少なくとも、わたしはそう教え込まれてきて、そういう規範をがっつり内面化してしまっている。
きっと、見た人に「こいつは物が分かっていない」と内心(あるいは直接)馬鹿にされるだろう。
もしかしたら、不用意なことを書いて誰かを傷つけるかもしれない。
(つい最近だって、「初詣ベビーカー論争」のせいで抗議が殺到してお寺さんが迷惑を被ってしまった。きっかけはおときた駿氏や乙武洋匡氏のツイートだったけど、これを広めたのは一般の人たちのリツイートやコメントだった。気軽な気持ちで発言するだけでも、巡り巡って誰かを傷つけることはあるのだ)
それが怖くて、日常的に社会問題について何か書いたりリツイートしたりするのは控えていた。
でももうダメだ。
仕事で忙しくしてたときや、うつでなにも考えられなかったとき、ずーっと蓋をしてた欲求がついに溢れちゃったのかもしれない。
引用元:
最終更新 2016年11月27日 (日) 17:23