昨日、「3月と言えばチューリップ」だと申しましたが、
春の訪れをやさしく少しずつ告げてくれているのは、黄色の花たちなのではないかと思います。
低い枝におぼろげに咲く、蝋梅や、まんさくの花。
1月には水仙、3月には菜の花が、大地をどこまでも覆うように咲いていて。
3月8日は、ミモザの日。高い木が、房のような黄色い花をたっぷりと咲かせています。
でも、黄色い花たちはどうしてか、やわらかい早春の風景のなかに溶け込んでしまっています。
ですから、早春の花をなにかひとつ挙げるように言われると、ただただやさしい黄色のイメージだけが浮かんで、ぼんやりしてしまうのです。
『クレヨン王国 シルバー王妃花の旅』の新花札を決める閣議で、黄色クレヨンの大臣は初め、黄色の花で全部の月を揃えられるぞ、とたいへん強気でいました。
「一月はフクジュソウ、二月ミモザ、三月ナノハナ、四月タンポポ、五月ヤマブキ、六月キンシバイ、七月ツキミソウ、八月ヒマワリ、九月オミナエシ、十月キンミズヒキ、十一月ツワブキ、十二月夏ミカン。どうです?」(p25)
しかし、予想に反して、黄色は「貧乏人パワー」に押され続け、他の色に軒並み座を奪われてしまいます。8月のヒマワリが決選投票のすえに水色大臣の朝顔に敗れると、「ヒマワリを立てて必勝を期した黄色大臣は落胆のあまりすっかり自信をうしなって、ぼうぜんとして」しまうまで追い込まれてしまいました(p41) 。
結局、最後には11月のイチョウで落ち着きます。
確かにイチョウ並木の黄金色は素晴らしいですが、花にはならなかったわけです。
たぶん、黄色の花はどれも、あの早春の花たちのように、日々の日常的な風景をあまりにも当たり前に彩っているのでしょう。たとえば、春真っ盛りのたんぽぽや、真夏のひまわり、故人に手向ける菊の花のように。
だから、各月の“代表”に選ばれることはできなかったのだと思います。
悪く言えば黄色い花はありふれた花だということです。
けれど、ありふれた当たり前の日常こそが尊いものなのだと、30歳を迎えるわたしは、もう知っています。
春まだ浅く、三寒四温の凍えるほうの日、ふとしたところでわたしたちを力づけてくれる、黄色い花たちに愛を込めて。
* * *
なぜこんなに黄色い花を誉め称えているかというと、実は裏話があります。
いまわたしは、重い虫歯のために、せっせと歯医者に通っています。
(Facebookで歯医者さん探しに付き合ってくださった皆様、ありがとうございます!)
腕の良い歯医者さんなのですが、歯を削られる時のキーンという音や鈍い痛み、消毒液のにおいは、どうしても好きになれませんから、気は重いのです。
そんなわたしを励ましてくれたのが、駅から歯医者さんまでの道のりに植わっていたミモザの大きな木と、歯医者さんの玄関に飾ってあるまんさくの花だったのです!
自分がまんさくの花に癒される日がこんなに早く来るなんて思ってませんでしたよ。
まんさくって、老人ホームや介護施設の名前になっているイメージがありませんか? 花自体も地味ですから、正直そんなに身近に感じられなくて。
でも、わたしがなんとか毎回歯医者さんまでたどり着けたのは、まだまだ花の少ない3月前半、ミモザとまんさくがあったおかげ。あの花が見られれば、ほっとできました。育ててくれたどなたかに感謝感謝です。
さて、みなさんはわたしのように歯医者に通う羽目にならないように、毎日の歯みがきと定期健診をサボらないようにしてくださいね。
あとは、良い歯医者さんを見つけましょう!(半年に1度は定期健診を受けていたはずなんですが、危うく歯の神経を抜きかねないところまで虫歯を進行させてしまってました……)
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昨日に引き続きMiitomoで作りました。
背景写真は昨年撮影。鴨川にて。 なんで昨年の写真ばかり使うかというと、今年は花見に行く余裕がないからです……