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Pokémon GOのAR写真とか。アニメの感想とか。たまに難しいことも。不思議ちゃんの新婚生活13年目@東京をまったり記録。

銀塩

恥ずかしながら、最近初めて知った言葉なのですが(>_<)

最近知り合った人が「写真はやっぱり銀塩写真だ」って言っていて。

 

フィルムを使って撮った写真のことを銀塩写真って言うんですね。なんだか、味のある言葉。

 

自分はデジカメでしか写真を撮らないのですが(最近はほとんどの人がそうですよね?)、

Coccoさんが絶対的にフィルムカメラ派なので、フィルムのどこがいいんだろう……って、前々から気にかかってました。

 

 

今日はたまたま六本木へ行く用事があり、そのついでにふらっと、東京ミッドタウンのフジフィルム・スクエアに行ってみました。

そこでやってたのが、熊野古道の写真展

 

ふらっと行ってみただけなんですが、わたしは心を奪われました。

これこそプロの作品なんだ! これが銀塩写真なんだ!

と。

 

ひとつは大きさの問題。

 

撮影に使われたカメラが展示されてあったんですが、古くてとても大きなカメラでした。フィルムも普通より大きなものを使っていたようです。(リンク先のページでも見られるので、ぜひ見てみてください)

展示されていた写真のなかには非常に大きいもの(2mくらいのもあったんじゃないかな…)もあったのですが、普通のデジカメの解像度ではおそらく、あんな大きさには引き伸ばすことができないのでしょう。

 

 

もうひとつは、色の問題。

 

繊細なグラデーションや、極彩色。

 

わたしはデジカメでよく写真を撮りますが、一度として“見たまま”の色を撮影できたと思うことがありません。(もちろん、パソコン上で簡単に色調補正ができますけどね。)

 

でも、

あの熊野の写真たちは、写真家の“見たまま”の景色を息づかせているように感じられました。それほど鮮やかな色の写真だったんです。

 

もちろんフィルム写真だって、現像のときに手を加えれば色調が変わります。そんなことは知っているはずなのに――それにもかかわらず、写真は現実を完全に映しているだなんていうお話を、手放しに信じてしまいそうになるほどの。

 

 

そして、被写体の問題。

 

夕日が鳥居の間をくぐる一瞬、火祭りで人々の持つ松明が山を駆け下りていく一瞬。

 

大きなカメラを使って、

美しい一瞬一瞬を待ち続けて待ち構えて、

やっと撮れた一枚なんだろうなと

どの写真も思わせてくるのです。

 

 

さっき書き上げた市民ビデオフォーラムのときにも、プロとアマの違いということは意識されていました(写真じゃなくてビデオ・ジャーナリズムについての話題ですがね)。

そして、あのフォーラムではプロを批判する視点のほうが強かったと思います。

 

写真とか、ビデオとか、報道とか、

“プロ”ではない人でもできる類のものは、色々とあります。アートはプロだけのものじゃない、ジャーナリズムはプロだけのものじゃない、みたいなことは最近よく言われています。

わたしも、特にジャーナリズム・報道に関しては、もうちょっとプロ以外の人もやってみるべきなんじゃないの、と思っている次第なんですが・・・

 

なんですが、

 

「いや、やっぱりその道のプロにしかできないこともあるのかも」

 

って、思いました。さすがに今日は。