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Pokémon GOのAR写真とか。アニメの感想とか。たまに難しいことも。不思議ちゃんの新婚生活13年目@東京をまったり記録。

サンマを好きになりすぎちゃった女の行動その2(佐藤春夫の詩について)。

11月、食欲の秋もたけなわですね! こんばんは、ゆーりんです。

この間「サンマを好きになりすぎちゃった女の行動。」という記事を書きましたが、またしてもサンマの話です。

 

ただし、テーマは文学なのです!

 

 

わたしの通っていた高校では、授業の題材に先生の趣味丸出しの作品が使われることがたびたびありました。

特に印象に残っているのは、音楽の授業でモーツァルトのかの有名な「俺の尻をなめろ」を聴かされたこと。

女子高で、先生も女性だったんですけどね。

偉大な作曲家にもユーモアがあったんですよみたいなことを教えるつもりだったんでしょうか。あのとき音楽室に流れていた微妙な空気は忘れられません…

(ちなみに、Wikipediaの「俺の尻をなめろ」の項目で紹介されている「戦記を読むなんて俺にはとても(Difficile lectu mihi mars) K.559」という曲がその学期の課題曲になったので、みんなで必死にこの無意味な歌を練習する羽目になりましたwww あの頃なんでみんなあんなに真面目だったのだろう… 羊肉(jonicu)…)

 

 * * *

 

そして、現代文の授業で一番思い入れのあった作品が、佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」、大正時代の作品です。

 

この詩をご存知ない方は、是非ともちょっと想像なさってみてください。

「秋刀魚の歌」ってどんな内容だと思いますか?

 

あはれ

秋風よ

情(こころ)あらば伝へてよ

――男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食(くら)ひて

思ひにふける と。

 

この第一連だけ読むと、秋の孤独を歌った詩かな?と想像されるかと思いますが、、、

 

実は、、、

 

これ、不倫の詩なんです!

((((;゜Д゜)))

 

不倫相手(谷崎潤一郎の妻・千代)とその娘と一緒に秋刀魚を食べた幸せな団欒を思い出しながら、今日の夕餉はただひとりで秋刀魚を食べ、涙している――という詩です。

 

勘違いされないで下さいね。この詩が好きだからって、高校時代も今も不倫なんてしてませんよ! 不倫、ダメ、ゼッタイ。

 

当時も今も好きなのは、不倫ではなく!!“ギャップのある男”です(/∇\*)。o○

 

佐藤春夫の魅力溢れるギャップは、最終連によく表れていると思います。

 

さんま、さんま、

さんま苦いか塩つぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あはれ

げにそは問はまほしくをかし。

 

格調高い文語体。

なのに、内容は不倫の恋の切々とした想い!

なのに、恋の涙のお供は、マティーニでもウイスキーでもなく、秋刀魚です。しかもただ塩焼きにしたシンプルなやつですよね。なんなんだ、この庶民的な恋わずらいは!

そして、「さんま、さんま、/さんま苦いか塩つぱいか」なんて、五七調でもないのにこんなにもリズミカルな文語体!

ほら、ギャップがいっぱい☆

 

浅学なわたしは、文語体なのにこんなにも情熱的で庶民的でリズミカルな詩を、他に存じ上げないのです。

サンマを食べるときにはいつも「さんま、さんま。さんま苦いかしょっぱいか♪」と唱えてしまいます。

 

というわけで、ゆーりんはこの「秋刀魚の歌」がとても好きで、今年サンマを食べるたびに思い出していたので、想いが募ってついに佐藤春夫の詩集を購入しました(笑)

 

購入したのは、『殉情詩集/我が一九二二年(佐藤春夫 講談社文芸文庫)』(http;//www.amazon.co.jp/dp/4061975765/)です。Amazonではずっと品切れだったんですが、本屋さんで探したら巡り会えました。わーい。

 

せっかく詩集を買ったので、いくつか気に入ったフレーズを引用してご紹介しますね。

 

あなたとは夢でもゆつくり話が出来ないのに

あの男とは夢で散歩して冗談口を利き合ふ

夢の世界までも私には意地が悪い

(中略)

白状するが私は 一度あなたの亭主を

殺してしまつたあとの夢を見たいものだ

私がどれだけ後悔してゐるだらうかどうかを

(「或る人に」より一部引用)

 

「或る人に」は、「秋刀魚の歌」と同じ『我が一九二二年』に収められています。

「あなた」は千代のことで、「あの男」「あなたの亭主」は谷崎潤一郎のことですね。

最近のJ-POP、特に男性ボーカルの歌にはこんなに骨のある恋の歌はないですよね……ぞくぞくします。

 

もうひとつ引用します。

 

消えやすいよろこびを 何で

うたつてゐるひまがあらうか、

アイスクリイムを誰が噛むか。

悲は堅いから、あまり堅いから

(嚥んだり噛んだり消化(こな)したり)

人はひとつのかなしみから

いくつもの歌を考へ出すのです。

(「詩論」)

こちらは『佐藤春夫詩集』(1926年刊行)に収められています。

 

悲しみという感情をなんとか消化(あるいは昇華)させるために言葉を書き連ねるという習性は、ツイッターやブログを持つ現代人も、大正時代の詩人も、変わらず持っているんですね。

 

また、講談社文芸文庫の解説では、佐藤春夫のこんな言葉が紹介されています。

 

わたくしはかねて「詩とは愚痴を楽しく聞いてもらう技術である」と考えている。

(「詩人という者」『詩文半世紀』所収、昭和38年=1963)(孫引きをお許しください)

 

わたしの旦那さんへの恋心は不倫ではないですが、距離を隔てている点、想いをすぐには伝えられない点は不倫とそんなに変わらないです。

溢れてしまう感情を誰かに聞いてほしくて、詩とか文章とかを書くんですけど、

ゆーりんのブログにはめったにコメントも付かないですし(笑)

まぁなんというか消化不良ではありますね(笑)

 

なかなか「愚痴を楽しく聞いてもらう技術」を身に着けるのは難しいです。

もっともっと飲んだり噛んだり消化したりしないといけないのですかね。

佐藤春夫は、千代に対する想いを素敵な詩という形にしていて、とても羨ましいです。

 

(コメントくださる方、いつも読んでくださっている方への感謝の気持ちは忘れてませんよ!)

 

 

以下、補足:

「秋刀魚の歌」は不倫の詩であると書きましたが、佐藤春夫の恋が不倫=周りの人を傷つける、人倫にもとる行為であったかどうかは簡単には言えません。

少なくとも、佐藤春夫と千代はこの詩が書かれた9年後に結婚しています(細君譲渡事件)。

 

また、この時代は姦通罪があったので、不倫が発覚したら慰謝料では済まず刑法上の罪に問われることになります。だから、現代における不倫のイメージよりも、ずっと真剣で命がけの恋だったんじゃないかと思います。

Google先生によると、佐藤春夫と千代の関係はプラトニックなものだったようです。)