夜は無作為に美しいものだと思います。
今日は真っ暗になるまで図書館で勉強していましたが、
図書館を出たときに、まず雨音ではっとしました。
眼前に広がっていたはずの草原は闇に溶けるばかり。
そして、目を上げたときに、降りそぼる雨の向こう側に、淡い夜空を見ました。
曇った夜空は常夜灯の光をたたえます。淡い、あわい、灰とむらさきの色。
アイビーがその幹を覆った木々も、光に照らされて深緑に萌えている。
強がったりはしません。暗がりは怖いものです。
だから、人は暗闇に明かりをおいていきました。
絶対的な不安をもたらす暗闇になんとか打ち勝つための、街灯たち。
それらは決して美しさを意図されてなどいません。
曇り空も、蔦が絡みついたままの木々も、あの白いばかりの常夜灯も。
それらが、ふとした瞬間に組み合わさって、うすむらさきの夜空に、深緑の木々に、光がたたえられた夜。
それを美しいと言わずしてなんと言えましょうか?
神々しいとも言えるはずのこの景色は、本当はただの偶然なのですから。
ただ、ただ、それは美しいばかりで。
人間が大自然に抵抗して生きているのだという、わずかな証なのかもしれない。
もがいているばかりの人間がようやく手にした光源は、不意に美しさを焼きつかせて、きっと消えていく。
無作為だから、誰も目に留めず、何も残らない、そんな美しさを。
小道に堕ちきって忘れられた桜の花弁のように。