著:中野信子
文春新書 2016.11
100人に1人の割合で存在しているという「サイコパス」。
脳画像診断の発達により、サイコパスの脳には扁桃体や眼窩前頭皮質、内側前頭前皮質の活動が低いといった特質があることが明らかになった。サイコパスは、脳の構造のために、恐怖や不安といった感情、相手に対する共感、そして良心が欠如しており、罰や損失を予測する能力にも障害があるため、衝動的な行動にブレーキをかけることができないのである。
このようなサイコパスの脳の機能については、遺伝の影響が無視できない。一方で、生育環境が引き金となって反社会性が高まる可能性もある。
このようなサイコパス研究から、社会には以下の課題が突きつけられている。
(1)遺伝的に反社会的な素質を持っている人たちが社会に適応し、資質(マザー・テレサやスティーブ・ジョブズもサイコパスだったと考えられている!)を生かして生きられるように、社会システムを整えるべきである。
(2)サイコパスは、反省できず、罰をおそれないため、反社会的行為を抑制するために作られた既存の社会制度やルール(すなわち刑罰)は、ほとんど無意味である。別の手段によってサイコパスの犯罪を抑制・予防する方向へ、発想を転換すべきである。
* * *
学生時代に法学をかじった身としては、この2点目の問題提起は考えさせられるものがあります。
ほとんどすべての刑法の教科書に、刑罰の正当化根拠には応報刑論と目的刑論の2つがあるとされています。目的刑論とは、将来に目を向けて、犯罪が行われないように刑罰を科すとするものです。
また、故意犯は過失犯よりも重く処罰されます。この理由は、行為者が自己の犯罪事実を認識・予見した場合、規範に直面して反対動機の形成が可能になる、すなわち、違法行為を断念して適法行為に出るよう自らを動機づけることができたはずであるにもかかわらず、あえて行為に及んだことに強い非難が向けられるからである、とされています。*1
……なんのこっちゃという感じですが。要するに。
刑罰とは、
・罪に対して刑罰を科せば、人は、罰をおそれて犯罪を犯さなくなる
・人は、ルールが与えられれば、ルールに反しないように自己を律することができる
という人間像を前提として作られたものであるということです。
ところが、本書によれば、サイコパスは罰をおそれません。倫理・道徳というルールを学習することもできません。刑法が前提とする人間像とはかけ離れています。
すると、サイコパスに対して刑罰を正当化する根拠がガラガラと崩れてしまうのです。
そして、この食い違いはサイコパスに限った話でもないと思うのです。
たとえば、「キレる高齢者」。
あるいは、「駅員への暴力行為」の防止を呼びかけるポスターを見かけたことはないでしょうか(こちらは全ての年代で増加しているようです)。
些細なことで当たりかまわず怒鳴り散らしている彼らを見ると、あの人たちが「規範に直面しながら、あえてそれを乗り越えた」ようにはとても見えないのです。
衝動的に、自分で自分を抑えるいとまもないまま、爆発してしまった感じ、といいますか。
相手に悪いなんてことはおろか、あとで自分がどんな目に遭うかすらも考えられないままキレてしまっているのではないか、と感じます。
折しも話題になっている、女性議員による秘書への暴言なんかもそのように見えます(実際にはどうだかわかりませんが)。
「キレる高齢者」も、脳の老化が関係しているのではないかという指摘があります。*2
さて、サイコパスや「キレる高齢者」たちに刑罰を科すとして、今までの理屈はそのまま通用するのでしょうか。
脳科学が発達した今、そもそも人に刑罰を科す意味から問い直されなければならないのかもしれません。
* * *
元法学部生としては、裁判員制度に対する警鐘も印象に残りました。
「司法の素人に判断させる裁判員制度も、弁舌に長けたサイコパスの存在を考えると、危険きわまりない司法制度だと言えます。」(第5章 p.186)
ただ、アメリカの陪審員制度など、司法の素人が司法制度に参加する制度をとっている国は数多くあり、歴史も長いので、そういった国での議論や、何らかの対処がされているのか(あるいはいないのか)が気になるところです。
* * *
参考:
*1 基本刑法1─総論(大塚裕史、十河太朗、塩谷毅、豊田兼彦 日本評論社 2012.11) p.11, pp.100-101
*2 (読み解き現代消費)キレる高齢者 脳トレで感情抑えて :日本経済新聞 2017年3月23日付 夕刊 http://www.nikkei.com/article/DGKKZO14349810S7A320C1NZ1P00/
※本記事はブクログに書いた自分のレビューから転載したものです。