ごぶさたしております、ゆーりんです。
さいきん、女性手帳の話や、橋下大阪市長の慰安婦発言の話など、女性の権利義務についてのトピックが特に増えている気がします。*1
Twitterのタイムラインを眺めていると、それらのニュースをテーマにした発言やリツイートがずらりと並んでいるのです。
ゆーりんは時事問題についてはあまりTwitterやブログに書き込んだりしないようにしています。
どんな物事も、深く追究すればするほど、いろんな価値観やいろんな利害関係が絡んでいることがわかって、自分の中で容易に結論が出せなくなるからです。
また、ウェブという場で発言することがどんな意味を持つのかいまだに計り知れていないため、なんとなく恐ろしいからという理由もあります。*2
でも時々書いてしまいます。
「これだけは絶対に間違っている(だから批判したい)」という自信があるときか、あまりに怒り狂ってしまって抑えられなかったときです。
要するに、わたしは非常に感情的な人間であるということです(ノ∀`) アチャー
そういうわけなので、Twitterを眺めていて、わたしよりずっと理性的だと思っていた友人知人の多くが昨今の女性に絡む問題について発言しているのを見つけると、不思議な気分になります。
そして、彼らが羨ましくなるのです。
性に関する問題について、あっけらかんと発言することができて、いいなぁ、って。
* * *
ゆーりんは、性に関する自分の価値観がどうやら多くの人とズレているらしいということを遅くとも中学時代には自覚させられていました。
たとえば、女子会で「○○にこんなこと言われたんだよ! セクハラだよねこれってー」という女友達の話に、ほかのみんなが笑いながら頷いているなか、なんでそれがハラスメントなのか、よくわからないまま同調してしまったり。
痴漢に遭って泣いて学校に来た女の子を見て、「お尻を触られて、何がそんなに嫌なんだろう」って思ってしまったり。
そもそも、痴漢が犯罪であるとは言うものの、お尻を触っただけでなぜ社会人としての人生が終わってしまうほどの罰を受けないといけないのか、直感的に理解できなかった覚えがあります。
不潔な手をぱんつの中まで入れられたら、感染症にかかる恐れも出てくるわけですから、傷害や暴行と並ぶ立派な罪だろうとすぐにわかったのですが。
「お尻を触られただけでも、それが女の子の意に反してのことであれば、強い屈辱感や男性に対する恐怖感を持ったりして、一生の心の傷になる。だから、痴漢の加害者は一生をかけて償うべきなのだろう。」
そういうふうに推論できるようになったのは、いろいろ勉強してからでした。
自分が普通だと思っていることは実は(少なくとも女性のあいだでは)ぜんぜん普通ではなくて、しかも女性を傷つけてしまうかもしれないくらい危険なことかもしれないらしい――
そして、自分にはどうやら女性の気持ちに対しての想像力が欠けているらしい――
そんなことを日々実感させられる10代を送っちゃったので、実はゆーりんは女子会というものが怖いです。
一対一で相手の反応を見ながら会話するのであれば、相手の気持ちを推し量りながら慎重に会話を進めればいいんですけど、団体での会話って、こういう空気を読めないゆーりんみたいな人間にはつらいのです。
そういうわけで、女性手帳に限らず、性という個人的だけど社会的な問題に関してすらりと発言できる友人知人たちが本当に羨ましいです。
おそらく彼ら(彼女ら)は、この発言によって誰も傷つけないだろうという自信がある。だからこそツイートできるんだと思うんですよね。
もしくは、誰かに「これはおかしい」と思われてもなお発言するだけの信念があるか。
わたしには、そこまでの自信も信念もありません。
本当なら、いわゆる少子化対策だとか性犯罪に関する話というのは、紛れもなく自分も利害関係者のひとりなのです。他人事じゃないんです。だから、政策や政治家の発言について、ちゃんと自覚と責任をもって物申して、動かしていかないといけないのです。本当ならね。*3
でも、ほかの女性、あるいは男性は、自分とはぜんぜん違う価値観をもって、自分とはぜんぜんちがう立場にいる人たちなのです。そのひとたちの事情をうまく想像できないらしいゆーりんには、
すごくむずかしくてこわいんです。
* * *
*1 なぜ女性の権利に関してのツイートが多いのかについての仮説
(と言っても、ツイート数の統計をとったわけではないんですけどね。
わたしが関心をもっているので無意識にそういうツイートばかり発見してしまっているせいで多く見積もっている可能性も高いです。大学に提出するレポートならちゃんと裏を取りますが、個人ブログなんで許してください^-^;)
ジェンダーに関する問題は、男女問わずすべての人が当事者です。そして、多くの人がそれを自分事だと捉えています。
つまり、自分が女性(あるいは男性)であるがゆえの困難について考えたことのある人が多いということです。特に女性の場合はそうでしょう。たとえば就活で希望職種を決めるときの「将来出産したときのことを考えたら、この仕事に就いて大丈夫かなぁ……」なんて悩みは、いまのところ女性特有のものなのかな、なんて思います。
だから、ジェンダーに関する問題はものすごーく反響が大きいんだと思います。
教育に関する問題も同様なのかなと思います。教育を受けたことのない人はいませんし(すべての人が当事者である)、自分の受けてきた教育に疑問を持つ機会のあった人も非常に多いはずですから(多くの人が自分事だと捉えている)。
橋下市長がなぜいきなり慰安婦について発言し出したのか真意はわかりませんが、話題性を狙っていたんだとしたら、すごくうまいなぁと思います。
* * *
*2 Twitterと「国民的議論」について
原発問題とか憲法改正問題とかでよく「国民的議論が必要」と言われますが、国民的議論が深まったって何をもって言うんでしょうね。
TwitterやらBLOGOSやらインターネット上のメディアができたことで、これまでの時代より国民的議論が可視化されやすくなったわけですが。
わたしがネット上の“議論”を見る限り、立場を異にする人たちの意見ってすれ違っているケースが多いのではないかと思います。自分と立場が同じ人たちで「そうだそうだ」と言い合っているだけのような。特にTwitterのシステムって、自分と似たような意見を持つ人のツイートしかタイムラインに載せないっていうことができるものですからね(^-^;
ただ、議論の深化によるものなのかはわかりませんが、国民的に価値観がだんだん変わっていくという現象は起き得るはずです。
たとえば、一昔前なら飲食店から喫煙席をなくすなんて考えられなかったでしょうけど、今では分煙は当たり前、禁煙席だけでも文句言うなっていうのがスタンダードですよね。公共の場でのタバコに関する日本人全体の価値観が変わったわけです。
タバコの場合は、法制度が厳しくなったから無理やり価値観を変えさせられただけだという見方もできるかもしれません。
でも、「国民の理解や議論」が深まっていない段階で無理やり規制しようとしても、喫煙者から「タバコを吸って何が悪い」って言われたり、飲食店から「分煙のために席を区切るコストを負担するのは嫌だ」って反対されて終わりじゃないですか。
タバコ(受動喫煙)の害やそれを防ぐ方法について国民の理解と議論が深まり、国民の価値観が変わったからこそ規制が可能になったはずなんです。
じゃあ、国民的議論はどうやって深まったのでしょうか、そして何をもって深まったと判断していたのでしょうか……?
* * *
*3 橋下市長の慰安婦発言等についての問題のとらえかた
橋下市長の慰安婦発言及び米軍への「風俗業活用を」発言 については、
・「現在の」「日本の」性犯罪をどうやって防ぐか
・「現在の」「日本の」性産業のありかたについて何か問題はないのか
という観点からとらえるだけでは足りないようです。
・「過去の」従軍慰安婦制度について、何が事実として行われていたか
・「他国が」従軍慰安婦制度あるいは性産業についてどうとらえているか
こちらについての知識も踏まえないと、考察ができないんですよね。国際問題になっちゃってますからね。
この橋下市長の発言については問題視してツイートなどをしている知人がけっこう多いのですが、こういう戦時中の歴史認識に関する知識って、T大生なら常識だったんですかね。
ゆーりんは知識不足なので恥ずかしい限りです(´・ω・`)
せっかく図書館通いを日課にしているので、調べてこようかなと思います。。。
歴史認識については、ホントのところどうだったのかを知りたいっていうのもありますし、将来いろんな国の人としゃべるようになったとき、もし聞かれたらどう返せばスマートかっていう答えも用意しておきたいんですよね。こずるい話ですが。