なんだかんだいって、
自分の知ってるキレイな女性が妊娠出産したっていう報告を見たら
「このひともやることやってるんだ……」って想像して(;´Д`) ハアハアしちゃうもんですよね。
もしA選手じゃなくて●●●●選手が同じことをしたとしても、こんなにニュースにならなかったと思うのですよ。
少なくともわたしは彼女の顔はあまり好みじゃないので、彼女のセックスシーンを妄想するインセンティブはございません。A選手とロシア人のイケメンコーチだから絵になるわけで…
有名人でなくても、同級生のカワイイ女の子の出産報告なんて、恰好の×××タじゃないですかwww うふふwwww
・・・・・・こんなことを言っちゃうわたしは下衆の極みですね。はい。
ですが、わたしがほかの人とくらべて異常に下衆なんだとは思ってません。
今回のことを含め、女性有名人の妊娠出産に関する報道のありかたが批判されるのは、
「働きながら子育てすることを否定するのはおかしいから」っていうことになっていますが、
(参考:http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2896)
報道の裏にみんなの下衆な好奇心が透けて見えるからっていう理由も大きいんじゃないかと思います。
そして、セクシュアルハラスメントはいけないっていう世の中になっているってことは、こういう下衆な好奇心がひとを不快にするっていうことは社会的にコンセンサスを得ているということ。*1
で、何が言いたいのかというと、
ひとの妊娠出産をテーマに何かを語るときには、その裏に自分の下衆さとか性的好奇心が隠れているかもしれない(それによって誰かを不快にさせるかもしれない)ということに自覚的になったほうがいいんではなかろうか、ということです。
もちろん、A選手のことを話題にすること自体は、働きながら子育てすることなどについて世間がどう見ているのかを明らかにするという点で非常に有意義だと思いますよ。
でも、ひとの妊娠出産にまつわることを詮索するなんて、完全なるセクシュアルハラスメント、誰がどう見ても下衆の極みの行為、ってことになってるんですよね?
ゆーりんは残念ながらセクシュアルハラスメントのなにがハラスメントなのかわかっていない社会不適合者なので、なぜそんな下衆の極みの行為がワイドショーやらツイッターやらであけっぴろげに繰り広げられているのか、よくわからないんです。
有名人だから詮索されても仕方ない、っていうことなんでしょうか?
だれかおしえてえろいひと!
*1
とはいえ、ひとを不快にさせるかもしれないことを公の場で語ってはいけない、という論を突き詰めるのも、それはそれで恐ろしいことになるはずです。(ここでは詳しく語りませんが、その論の究極が児童ポルノ法改正案なんでないかと。http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1306/25/news040.htmlの山田太郎氏の見解をご参照ください。)
しかし、セクシュアルハラスメントといわれるような言動については、「ひとの心を大いに傷つける可能性があり、避けるべきだ」という価値判断がすでに日本で確立しているはずです。
であれば、A選手の妊娠出産に対して何らかの意見を述べるにあたっては、それが誰かに対するハラスメントになりえるのではないか、と自問自答すべきなんじゃないでしょうか。自問したうえで「もし誰かを不快な気分にさせるとしても、述べなくてはならない信念が自分にはあるんだ、議論しなくてはならないテーマなんだ」と答えが出たら、そこではじめて口に出せるような類のことなんじゃないでしょうか、ねぇ???