2月後半の四国旅行と3月初の九州~四国旅行とで、短期間のうちに2回も!
松山&道後温泉に行ってきました。
1回目に行ったときに、
「あー せっかく松山は文豪のまちなのに、
坂の上の雲とかぜんぜんしらないなー」
とちょっぴり残念に思っていました。
その後すぐドイツ旅行、九州~四国旅行と来ちゃって、文学作品なんて読む暇もなく
2回目の松山・道後温泉に行くことと相成り。
なんか悔しかったので現地のローソンで『坊っちゃん』と『坂の上の雲』を購入してしまいました。
衝動買いもいいとこ。
とりあえず「坊っちゃん」だけ読破したのでその感想をば。
●そういえば、松山と道後温泉ってめっちゃ近かったなあ。
当時の交通機関でも毎日、松山の市街地から温泉まで通えたんだから。
こう考えると、松山はとてもとても恵まれたまちだ。
●坊っちゃんの口調が男友達のmixiでの文体に似てて、個人的にはすごく親しみやすかった。
こういうふうに短文をぽんぽん重ねて論理を展開していく日記は、mixiでも読みやすい。
●高校の頃に現代文の授業で取り上げられた『現代日本の開化』をなんとなく思い出した。
わたしが今まで読んだことのある夏目漱石作品が『こころ』と『現代日本の開化』だけだからかもしれないが…恥ずかしながら。
「西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。」
「現代日本の開化は皮相上滑(うわすべ)りの開化である」
という箇所がキーフレーズにされていると思う。
『坊っちゃん』を読んでいて思い出したのは、「現代日本の開化は皮相上滑(うわすべ)りの開化である」に続けて、
「しかしそれが悪いからお止(よ)しなさいと云うのではない。事実やむをえない、涙を呑(の)んで上滑りに滑って行かなければならないと云うのです。」
と述べるところ。
坊っちゃんは“江戸っ子”で、いわゆる古き良き日本男子を体現しているように見える。
一方、坊っちゃんが立ち向かった赤シャツは、どう見ても“西洋かぶれ”。
小説のラストで、坊っちゃん(=日本)は赤シャツ(=西洋)に天誅を加える。
気もちいい勧善懲悪に見えるけれど、実は、全く勧善懲悪していない。坊っちゃん・山嵐のいなくなった中学で、赤シャツとのだいこはそれまで以上に大きな顔でのさばっていくに違いないから。
だが、一貫して明るい調子でこの物語は終わる。実に痛快でスカッとする読後感だ。
それが「涙を呑(の)んで上滑りに滑って行かなければならない」という『現代日本の開化』における諦念ともつながっているような気がする。
西洋かぶれに抵抗しようとしても、上滑りに滑って行かなければならない……でもそれでいいじゃないか、という漱石の気持ち良い開き直りのように見えるのだ。