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Pokémon GOのAR写真とか。アニメの感想とか。たまに難しいことも。不思議ちゃんの新婚生活13年目@東京をまったり記録。

京アニの作画力をヨーロッパ風の世界観に発揮! アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想メモ(と、ついでに心と言葉の密接な関係について雑感)

第7話まで視聴済み。原作未読。

ドイツ風のおとぎ話のような街並みを描く、さすが京アニと言うほかない映像美。

寡黙で感情をほとんど見せることのない綾波レイの神秘さと、少女でありながら毅然と戦うセイバーの凛々しさと可憐さの魅力を併せ持つ主人公。

これでヒットしないわけがないでしょう。

金髪碧眼の端正な顔立ちに青いドレス。主人公のヴァイオレットは本当にセイバーにそっくりですよね。パクリと言う人もいるかもしれませんが、ヴァイオレットにはヴァイオレットにしかない良さがありますよ! 素直に認めましょう。こういうキャラ造形はどうあがいても可愛いんです。

感情を知らない少女が仲間と交わって愛を知っていく、というストーリーはエヴァ綾波レイ)だけでなくFinal Fantasy VI(ティナ)とも共通しています。

しかし、戦いのなかではなく、戦いが終わった後の平和な世界でお仕事を通じて学んでいくという点において、本作はこの2作と大きく異なります。

わたしたちと境遇が似ているので、より自分と重ね合わせやすいのかなと思います。

たとえば、初めての仕事で失敗ばかり、というのは実に共感がわきますよね!

ちなみに、公式ホームページのWorldコーナーには作中世界の詳しい説明が載っていますが、読まずにアニメを見始めても全く問題なくついていけます。わかりやすい作品です。

~~~以下ネタバレ~~~

●ヴァイオレットは可愛いけど共感しにくい

とはいえ、言いにくいのですが実のところ、わたしたちと境遇が似ている割に感情移入しにくいと全体的に感じています。

わたしたちも特に10代の頃は、ヴァイオレットのように自分の心や相手の心がわからなくて戸惑ったりしくじったりしたことがたくさんあったはずなのですが。

ヴァイオレットの無表情さ、空気の読めなさ、そして急激な成長ぶりが異常なほど極端なせいかもしれません。

初めての仕事で大失敗しても、ヴァイオレットは何も反応を示さないんですよね。おそらく納得できない悔しさを心の底では感じているのだと思いますが、まだ自覚さえできていないんでしょうね。

だいたいの人がヴァイオレットよりは正しく言葉の裏にある人の心が読めるでしょう。第2話の初めて代筆した手紙はひどすぎますw 優越感はくすぐられますねw

ギルベルト少佐の話が出るたびにホッジンズが言いよどむのを見れば、だいたいの人は彼が本当は亡くなっているのを察するはずですが、ヴァイオレットは察せない。それを思うと優越感よりも痛ましさを覚えますが。

そんな彼女が、第5話ではいきなりロマンティックな恋文が書けるようになっていて、「お肉食べたい」の言外の意図を読み取ったうえに、笑顔も見せるので、あっけにとられます。

ヴァイオレットは萌えの対象にはなっても、共感して感動できるキャラクターにはなりにくいのかもしれません。

●王道すぎるエピソード

もちろん感情移入しなくても感動することはできるものです。

しかし、本作の場合、アニメや漫画でよく見かける、いわば王道の、悪く言えば陳腐なエピソードが多い気がするんです。第3話の、ルクリアが荒れている兄に想いを伝えることで和解する話とか。

いったんは登場人物と同じタイミングで涙腺が緩むんですが、ふと「普通の人はここで感動するものですよね! はい泣いて!」という作り手のメッセージを感じてしまって、白けてしまうのかなと思います。

一歩引いて考えると、なぜルクリアの兄はたったあれだけの手紙で改心するに至ったのかとか、なぜリオンはヴァイオレットに旅に出る勇気をもらえたのかとか、謎じゃないですか? よく見かけるエピソード・展開なので、きっとこういうことがあれば人はこうなるものなんだろうなと統計的な分析(第5話の代筆でヴァイオレットが使ったものですね)による推測はできますけど。この推測を求められる点が興ざめの一因なのかなと考えています。すぐれた作品は、巧みな文章表現や映像表現を用いて、推測をすっ飛ばし理屈を超えて“感じ”させてくれるものなのだと思います。

あるいは、単に既視感のせいで興ざめしてしまっただけかもしれませんね。

面白いと感じた場面もあります。

たとえば、第6話冒頭のリオンの独白「そのドールという職業を、俺は最初わけもわからず嫌悪し、そして、いらだつ自分に戸惑っていた」です。もしかしたら、わたしが本作にのめりこめなかったのは、彼の言う嫌悪感のせいではないかとハッとさせられたのです。

まるで代筆屋さんのようにわたしの本当の心を汲み取ってもらえてうれしかったんだと思います。

ただ、リオンがなぜ怖さを感じていたのかその後明示されなかったので肩透かしを食らってしまいましたが。公式ホームページのStoryでは「リオンは母が自分よりも愛する男を選んだのだと思い、女にも恋にもコンプレックスを抱くようになった」とあるので、おそらくそれが嫌悪感の理由です。

だとすると、わたしが抱いた嫌悪感とは少し違うようです。わたしはいったいドールの何に嫌悪しているんでしょうね。ひとの気持ちを見透かすところが怖いんでしょうかね。

(ここまで自分の読解力や感受性のなさを棚に上げてねちねち批判してしまい、申し訳ございませんでした。書いてから恥ずかしくなってきました。でも、同じように感じている人もいるかもしれないので、残しておきます)

●終盤に期待を持たせる第7話のヴァイオレットの変化

良い意味で最も印象に残ったのは、第7話ラストで一瞬だけ見せるヴァイオレットの表情。本当に一瞬だけ見せて、黒背景に白文字の「」が浮かぶコマにすぐ移ってしまう。

見間違いかと戸惑うほどでした。ヴァイオレットが、あのヴァイオレットが、今まで一度も見せなかった悔しそうな表情をするなんて!

一瞬だからこそ心に響く、アニメならではの“感じ”させる表現ですね。

●総評:京アニの作画力をヨーロッパ風の世界観に発揮! 画を楽しむだけでも見続ける価値あり

というわけで、今のところは感動作とまでは言えないのですが、画が素晴らしいのでラストまで見届けるつもりです。

冒頭にも書きましたが、このクラシカルな世界観を京アニのハイクオリティで見られるのは最高ですよね!

ドレスのバッスルが可愛い!

curtseyのおじぎも大好きです。

露出の激しいおねえさんがいたり、棚田が出てきたりするあたり、世界観が必ずしも統一されているわけではありませんが、それもまた良し。

●心と言葉の密接な関係について雑感

画だけでなくストーリー面でも感動できる場面に出会えたらうれしいですね。

手紙、すなわち「言葉」を書くことを通じて愛を知る、という本作のテーマが興味深く魅力的だからです。

というのも、愛などの気持ちを知っていくには、他者から愛を受けることだけでなく、その感情を示す「言葉」を学ぶことも重要だとわたしは考えているのです。

言葉の役割とは何かと問われれば、気持ちを表現すること、伝えることだと答える人が多いことでしょう。

しかし、言葉の役目は、感情の表現・伝達だけではきっとありません。

言葉を知らなければ、そもそも自分がいまどんな想いを抱いているのか、それは何がきっかけなのか、自分で認識して制御することさえ難しいのではないかと思うのです。

本作のヴァイオレットは第6話でリオンに教えられてようやく「私はいま、寂しいのですね」と気付いていますが、この時点まで、彼女はずっとわけもわからず「胸がぐっと重くなる」のに耐えなければならなかったわけです。

ヘレン・ケラーはサリバン先生から言葉の存在を教えてもらうまで癇癪持ちだったというのもこのことを示すエピソードだと考えています。あとは、最近はやりのマインドフルネスでも「いま自分はイライラしている」といった負の感情をラベリング、つまり言葉にすることで受け流すことができるようになると言われているようですね。

先ほど、アニメや漫画などでよく見かけるエピソード・展開では登場人物の心の動きを統計的に推測することができる、ということを指摘しました。つまり、物語を通じてあらかじめ知っておけば、自分に似たような状況が起こった時、自分や関係者の心の動きを推測して言葉にすることができて、戸惑わずに心を受け止められるようになるのです。

わたしがアニメや小説、映画に期待するもののひとつは、このように心をラベリングする「言葉」を教えてくれることです。自分で気づけない自分の本当の気持ちをすくいあげてくれることです。

本作のドールのお仕事はまさにこの期待に沿うものですよね。

ヴァイオレットが自分や他人の心を知ろうと成長する過程は、わたしたちもいつか辿ってきた道。そして、老いてもなお向き合い続けなければならない課題です。ヴァイオレットの成長を通じて、自分がどうやって愛を知っていったのか、知っていくのか、思いがけない角度から本作が浮かび上がらせてくれるといいなと思います。その思いがけなさは、感動を生むはずです。