それでもやっぱり、自分は祈るだけしかできない。
だって、
寄付をしたってお金はすぐには届かない。
ボランティアで駆けつけるにしたって、なんの専門知識もないわたしみたいな病人が行ったらかえって迷惑になってしまう。
いま、まさにいま、大変な思いをしている被災地の人にわたしが役に立つことは、どうしたってできない。
どんなに祈ったって被災地の状況が何も変わらないのはわかっている。
でも、
熊本や大分が震災で大変だと知って、わたしの心はどうしたって痛む。
そんな自分の心をどうにかしたくて、祈ってしまう。
そんな気持ちを誰かと分かち合いたくて、SNSに書き込んでしまう。
「情けない」。「クソの役にもたたない」。「単に自己満足でしかないのにいい人ぶっている」。
……反論なんてできない。すべてその通りだ。
寄付とか、ふるさと納税とか、あるいはみんなも寄付しようと呼び掛けるとか、いま自分が被災地のためにできることを一通りし終わったら、あとは普段通りの生活を送るのが合理的な行動なのだ。
だけど、この痛む心はどうしたらいいの?
だからやっぱり、わたしは祈るだけしかできない。
神さまがわたしの代わりに被災地の人たちに寄り添ってくれるように。
そして、わたしの心にも、いっときの安らぎが訪れるように。
* * *
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(https://www.landerblue.co.jp/blog/?p=26216)
多数の知人がシェアしていたこちらのブログを読んで、どうしても悲しくなってしまって、書きました。
筆者のかたを批判する意図は全くございません。このかたは、被災地への寄付(ふるさと納税)を効果的に呼び込むために、いわゆる炎上マーケティングを狙ってあえて挑発的な物言いをされているのでしょうから。翌日のご投稿(https://www.landerblue.co.jp/blog/?p=26244)によると、ブログは見事バズり、筆者の試みは成功したようです。それで被災地への寄付が増えたなら大変喜ばしいことで、被災者ではないわたしが悲しい思いをしたことくらい、どうだっていいのです。どうだっていいはずなのです。
でも悲しくて、悲しい気持ちが自分のなかで処理しきれなくなって、書いてしまいました。