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Pokémon GOのAR写真とか。アニメの感想とか。たまに難しいことも。不思議ちゃんの新婚生活8年目@東京をまったり記録。

黒バス脅迫事件「最終意見陳述」を読んで感じた、人文社会科学を学ぶ大切さについて。

【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない | かみぷろ

http://kamipro.com/blog/?p=16006

多くの人がこの「最終意見陳述」に感銘を受けたと言ってシェアしていたのでわたしも読んでみました。

「努力教信者」「埒外の民」などの用語法は厨二病的で独特のものですけど、

「人間はどうやって「社会的存在」になるのでしょうか? 端的に申し上げますと、物心がついた時に「安心」しているかどうかで全てが決まります。」

といった論は、既視感がありました。大学の教養課程の色んな授業で繰り返し教わった覚えがあるんです(社会学だったか心理学だったか教育学だったか、科目は忘れてしまいましたが)。

なんというか、よく出来た大学生のレポートみたいだなって思いました。

ただ、わたしにとっては内容面に目新しさがなかったからといって、何も感じなかったわけではないです。

特に心を打たれたのは次の部分です。

刑事裁判において虐待やいじめの話が出ると必ず「で、それが何?自分も虐待されたしいじめられたけ犯罪なぞしていない!そういう物言いこそ虐待経験者やいじめ被害者に対する最大の侮辱だ!」などと主張する虐待経験者や元いじめられっ子がぼっとん便所に涌いた蛆虫の如くヤフーコメントやミクシーに大量発生します。自分はこのような「自称」虐待経験者や「自称」元いじめられっ子に向けて申し上げているのではありません。大変な生きづらさを抱えているのにその原因を把握できずに苦しんでいる方々に申し上げているのです。自分も生きづらさの原因が全く分からなかったために、このような事態に至ってしまいました。自分はつい最近まで小学校時代の6年間が地獄だったとはあまり認識していませんでしたし、母親が子供にその容姿について罵倒することは、どんな親子でも普通にされる会話だと思っていました。子供時代の体験をずっと引きずったまま行動していた自覚もありませんでした。生きづらさからの回復はまず原因の把握からスタートするのです。

黒バス脅迫事件の犯人は、公判中に差し入れられた一冊の本(精神科の医師の著書とのこと。タイトル等はリンク先の記事からは不明でした)を読んで「自分の人生が再スタート」し、「最終意見陳述」 を書いたのだそうです。

もしも、

もしも彼がこの本に事件前に出会うことができていたら!

もしも彼が何かの本を読むか、何かの授業を受けるかで、自分の生きづらさの原因を把握することができていたならば、あんな脅迫事件を起こさずに済んだのではないか……

そう思うと本当に本当に切なくなります。


この記事をシェアした知人たちがどの点に感銘を受けたのかはわかりません。

でも、TwitterFacebookのコメントを見ていると、こういう物の見方(物心がつくまでに親から安心を与えられていたかどうかで人が社会的存在になれるかが決まってくるなどの論)には触れたことがなかった、と目新しさを感じていた人も多いような気がします。

もしそうだとすると、「大変な生きづらさを抱えているのにその原因を把握できずに苦しんでいる方々」が生きづらさの原因を把握するために必要な物の見方を学ぶ機会が、多くの日本人にとって与えられていない、ということ示していますよね。

これは、この犯人が社会に対して投げかけた大きな大きな問題提起だと思います。

社会学なのか心理学なのか教育学なのか、どんな学問分野に当たるのかわたしは忘れてしまったんですが(^^;)

* * *

奇しくも先月、「文科省は国立大に人文系はいらないと思っているらしい」ということが話題になりました。

国立大から教員養成系・人文社会科学系は追い出されるかもしれない - 日比嘉高研究室(http://d.hatena.ne.jp/hibi2007/touch/20140826/1409070263)では、国立大学法人評価委員会の資料からそのような文科省の方向性を読み取り、強い危機感を表明しています。

先行きが不透明ないまの時代、学生側も企業側も仕事にすぐ役立つ実学を重んじ、人文社会科学の有用性を過小評価する傾向にあるのかもしれません。

でも、人文社会科学を学ぶことって、たとえ仕事に直結しなかったとしても、「大変な生きづらさを抱えているのにその原因を把握できずに苦しんでいる方々」が生きづらさの原因を把握するために必要な物の見方を学ぶ大切な機会になるんだと思うのです。この黒バス事件の犯人がそうであったように。

人文社会科学を大学(特に国立大学)でやる必要があるのか、という問題について深く考えたわけではないのでここで考えを述べることはできません。

でも、たとえ人文社会科学が仕事に直結しない学問だとしても、人文社会科学を学ぶことは物の見方に深みをもたらし、自分や他の人の人生の生きづらさの原因に気付いて対応策を考える機会を与えてくれるものだと思うのです。もっと言えば、生きる力を育んでくれる学問なんじゃないか、と。

少なくともわたしは、大学の教養課程で社会学や心理学などの人文科学を学んだことで、自分の生きづらさの原因に気づいて折り合いをつけられるようになれて良かったなと思っています。

(わたしは両親から十分に愛されて育ちましたが、中高生の頃、同世代の子とのコミュニケーションがなぜだかうまくできなかったので、黒バス事件の犯人のことも他人事じゃないんです。今でも、人と目を合わせてしゃべるのが非常に苦手です。)

* * *

最後に、黒バス脅迫事件にかかわった全てのかたが心安らかに日々を過ごせるよう祈っています。