寒中お見舞い申し上げます、です。
しばらくブログを書かないでいたら、明けましておめでとうございますを言えない時期がとうに過ぎていましたです! 毎日充実してて流れが速いですー。
あけおめは言えませんが、「昨年中は大変お世話になりました。今年も宜しくお願いします。」は皆様に心をこめてお伝えしたいと思います。
ぺこり。
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ブログに書きたいことは色々あったんですが、とりあえず今日は「ひめゆり」というドキュメンタリー映画を見たことについて。大学で上映会をやっていたのです。
※ねむたいままに徒然に書きます。読みやすさ意識してないです、ごめんなさい。
http://www.himeyuri.info/にあるとおりなんですが、ひめゆり学徒隊の生存者の方々の証言を映した、長編ドキュメンタリー映画です。
気になったきっかけは、なんとまあミーハーなことに「Coccoさんが紹介してたから」なんですが(^-^;
あんまり上映している場所がないので、なかなか見に行けないなーと思ってたところに、
大学の図書館で「ひめゆり」のポスターを見つけたときはもう、もう「運命の出会いだ!」とか思ってしまったの、覚えてます。
小学生か中学生のころにひめゆりの塔に行ったことがあります。
ひめゆりの塔の資料館には、亡くなられた女学生の遺影が飾られていました。200名余りの女の子たちの、モノクロの顔写真。
戦争で失われたのは、ひとりひとり大切にされていたはずの、ひとりひとり夢や楽しい暮らしがあったはずのひとだったんだ ということが否応なしに感じられて、胸が痛くなるばかりで泣くこともできなかった。
映画を見ながら、そのときのショックを思い出していました。ひめゆりの塔に行ってから10年近くなのか10年以上なのかわからないくらい経っていますが、このショックはずっと消えずに、今の自分の中核を形作っているのでしょう。
ただ、映画を見て、女の子たちが亡くなったことだけが悲しいんじゃないんだということも感じました。
ひめゆり学徒隊は傷病兵の看護にあたるなかで、怪我人や死者をあまりにも多く目にするので、だんだんその怪我や死の悲惨さを忘れてしまうという証言があったからです。
戦争が、女の子たちを血も涙もない人間にしていく。
(わたしたちが今の時代に「血も涙もない人間」になっているのだとしたら、何に対してなんだろう。何が日常になってしまったからなんだろう?
ときどき、小さい頃は憤っていたはずのことに、もう怒らなくなっていることに気づく。 自分が大人になったからなのか、それとも時代が変わったからなのか?)
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一応ちっちゃいものとはいえドキュメンタリー番組を作ったことがある身としては、
カメラワークの特殊性に興味を持ちました。
特殊性と言っても、
証言者の方が話している間はずっと証言者の目にピントをあわせたまま、ズームインしたりズームアウトしたりすることもない、
っていうことなんですが。
つまり、いたって普通の撮り方をしてたってことです。でもそれが逆に新鮮だったんです。ほら、最近のドキュメンタリーって、よく話し手が泣き出すと目のところにカメラがズームインしたりするシーンがありませんか? ああいうほうが見慣れちゃってます。
そのいたって普通の撮り方が2時間続く映画です。淡々と。画面効果も特に目新しいものはないんじゃないかと思います。
なのに、見ていて全然飽きないし辛くもなりません。
それには、内容もさることながら、カメラワークに全く技術的な問題点がないっていうことが大きく貢献しているんだと思います。
だってね、もし証言者の顔がピントブレてたりしたら、絶対見てられないですよ!
もっと端的にあらわれるのは、音声のほうでしょうか。
映画の中では沖縄の海の近くで証言を撮っているシーンが数多くあるのですが、そういった場所は、ほんとうなら波の音はかなりうるさいのではなかったかと思われます。現に、波の音がずっとバックで聞こえています。
でも、証言の音声は消されていないんです
当たり前といえば当たり前ですが、もし証言がきちんと聞こえず、耳を研ぎ澄ます必要があったりしたら、証言がストレートに心に届くことはなかっただろうと思うのです。
普通の撮り方を続けて飽きさせないなんてさすがプロの仕事だなあと、個人的には思います。別の見方もあるとは思いますが。
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これ、大学での上映会だったので、上映後に監督の講演がありましたのです! ただの上映会じゃなかったんですよ。せっかくなのでと思って講演も伺うことにしたら、
まず、
監督が若い!ということにびっくり。
そして、話を伺っていて、
とても人当たりの良い方だということに、「ああなるほどな」と思いました。
こういう方にだったら、信頼して、悲惨な体験談すら話せるのかな、って。
だから、是非もっとお話を伺いたくて、講演終了後に残って、監督が大学教授とお話していらっしゃる脇でじっと待ってたんですよ。
小規模な上映会だったのをいいことに、図々しくも。
そしたら、なんと上映会打ち上げの飲み会に誘われてしまいました…!
監督や上映会スタッフの方、もちろん初対面の方ばっかりなんですが、たくさんお話しさせていただきました。
ほんとね、図々しさだけは自分の誇れる長所だと思ってるんですよヽ (´ー`)┌
有難かったです。スタッフの皆様にも、一学生の突然な質問に真摯に答えてくださった監督にも本当に感謝しています。
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飲み会では同じ大学の学生スタッフさんたちと主に話してました。
沖縄出身の方が二人いらしてて、彼女たちから聞く戦争にまつわる話は、東京出身の者からすると興味深いものでした。
壕など、戦争の爪跡がいまだに残ってて身近にあるとか、
つい最近も集団自決に関する日本史教科書の問題で全島集会で湧き上がってるとか(ニュースではもちろん耳にしてましたが、本当に盛り上がっていたのだと直に聞くと、どきっとします… 東京じゃ学生が集団で何か主張するとか、ありえなくないですか?)。
戦争に関して当事者意識を持ち得る環境にあるんでしょうか。
「私のおばあちゃんは、ひめゆりの証言者の方のような流暢な標準語はしゃべれなかったんだよ」
というお話を伺えたのは本当に貴重でした。
ひめゆり学徒隊の方って、女学校の学生たち、つまり当時でいえばエリート中のエリートだったんですね。
エリートだったからこそ、東京のわたし達にも伝わりやすい言葉で、時系列を追ってわかりやすく語ることができたんだっていう側面があるのです。
だとしたら、
エリートでない沖縄の方の体験は、どういう形で残っていくのでしょうか。
「声の大きい人の体験しか流通しない」
と、沖縄出身の彼女たちは言っていました。とても強い口調で。
流通しない体験は残らないという怖さを感じていることが、伝わってきました。
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監督からは、自分の番組についてアドバイスを頂戴しました。
「プロが会社で技術を何年か学べば、どんな場面だってそれなりに面白い番組を作れてしまう。
でも、
ドキュメンタリーで大事なのは素材だ。
学生の撮るドキュメンタリーは、あなたにしか撮れない場面を撮って素材にすることが重要なんだ」
という言葉です。
「学生にしか撮れないものを」
っていうのは、
ドキュメンタリー制作の授業を受けてると何度も何度も言われてしまうことなんですが・・・
なんなんだよそれって、って思い続けて、1年半。
この言葉を聞いて、ようやく決着がついてきました。
学生らしさとは、自分が心を動かされた場面を切り取ることなのではないか。
そういうふうに、今は思ってます。
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いま、銚子電鉄についてドキュメンタリーを撮ってます。
あ、もう素材は撮り終わって、編集段階に入ってるんですが。
編集するときに心がけること、監督に言われた言葉をきっかけに、決めました。
「自分が心を動かされた場面の映像を、視聴者のかたにも心を動かしてもらえるように配置すること。」
いろいろ思うところはあるんですよ、銚子電鉄について。
街を盛り上げようとする一部の人と、どちらかといえば無関心な多くの人とのギャップとか。
外から来た鉄道ファンたちがいなければ銚子電鉄は生き残れなかったという事実とか。
もっと広い問題として、人口減に悩む地方都市はどう頑張ればいいのか未だに誰にも分からないこととか。
これらをどう10分のドキュメンタリーに入れ込むか、かなり悩んでました。みんなで構成考えてるときに散々「わからないわからない」って訴えて、チームの仲間に整理してもらったりして。
・・・わかんないですよ。
わかるわけないじゃないですか。銚子の地元の方が毎日考えてても、見えないことなんだから。
だとしたら、報道する者としてわたしができることって、
わたしが心を動かされたシーンを視聴者に伝えようとすることだけなんです。わかろうとしても、知ったかぶりになるだけなのです。
どんなシーンに心を動かされたかって言うのはここでは内緒にしておくのですが(だって番組の胆ですから。)、
結構衝撃的なシーンなので、
たぶんこれを見たら、わたしたちチームと同じようなことで「ああ、わからないなあ」って思ってくれるんじゃないかと、
期待。
がんばります。